落穂をひろひてほぐみをつくる。若
日うらゝかなれば嶺によぢ上りて遙
に故郷の空を望み木幡山伏見の
里鳥羽羽束師を見る。勝地は主
なければ、心をなぐさむるに障なし。あゆ
み煩なく志とをくいたる時は、これよ
り峯つゞき、すみ山を越笠取を
過て、岩間にまうで石山をおがむ若
は又粟津の原を分て、蝉丸翁
が跡をとぶらひ、田上川をわたりて
猿丸大夫が墓をたづぬ。歸るさには
落穂を拾ひて穂組をつくる。若し、日うららかなれば、嶺によ ぢ上りて、遙に故郷の空を望み、木幡山・伏見の里・鳥羽・羽 束師を見る。勝地は、主なければ、心を慰むるに障りなし。歩 み煩なく、志遠くいたる時は、これより峯つづき、炭山を越え、 笠取を過て、岩間にまうで、石山を拝む。若しは又、粟津の原 を分て、蝉丸翁が跡をとぶらひ、田上川を渡りて、猿丸大夫が 墓をたづぬ。帰るさには ※「帰るさには」は、嵯峨本では「帰るさまには」となっている。 (参考)前田家本 落ち穂を拾ひ、穂組を作る。もし、日麗らかなれば、峰によ ぢ登りて、遙かに故里の空を望み、木幡山、伏見の里、鳥羽、羽 束師を見る。勝地は、主無ければ、心を慰むるに障り無し。歩 み煩ひ無く志し遠く至る時は、これより峰続き、炭山を越え、 笠取を過ぎて、或は岩間に詣で、或は石山を拝む。もしは又粟津の原 を分けつゝ、蝉歌の翁の跡を訪ひ、田上川を渡りて、蝉麻呂大夫が 墓を訪ぬ。帰るさには、 (参考)大福光寺本 ヲチホヲヒロヒテホクミヲツクル。若ウラゝカナレハミネニヨ チノホリテハルカニフルサトノソラヲノソミコハタ山フシミノサト鳥羽ハ ツカシヲミル。勝地ハヌシナケレハ心ヲナクサムルニサハリナシ。アユ ミワツラヒナク心トヲクイタルトキハコレヨリミネツゝキスミ山ヲコエ カサトリヲスキテ或ハ石間ニマウテ或ハ石山ヲヲカム。若ハ又アハツノハラ ヲワケツゝセミウタノヲキナカアトヲトフラヒタナカミ河ヲワタリテサルマロマウチキミカ ハカヲタツヌ。カヘルサニハよぢのぼりて 攀上と かくなり 木幡山 山城 拾遺集 山しろのこはたの里に馬はあれど かちよりぞ行君をおもへば 人丸 伏見 山城 後撰 よみ人しらず 名にたてゝふしみの里といふことは もみぢをとこにしけば也けり ※山しろの 拾遺集巻第十九 雑恋 題しらず 人まろ 山しなのこはたの里に馬はあれど徒よりぞくる君を思へば 古今和歌六帖では「やましろの」とある。 ※名にたてゝ 後撰集巻第十八 雑歌四 ふしみといふ所にて よみ人 名にたちてふしみの里といふ事はもみぢをとこにしけばなりけり 伊勢集の一本では、「名にたてて」 炭山笠取山付近 曽塚 田上川(現在の大戸川) 逢坂山関