「中将、いかで我と、知られ聞こえじと思ひて、物も言はず。ただいみじう怒るれる気色に、もてなして、太刀を引き抜けば、女、「あが君。あが君」と向かひて、手を擦るに、ほどほど笑ひぬべし。」
/\しき人に、かくにげなきふるまひをして、みつけ
源詞
られんことははづかしければ、あなわづらはし。いでなん
に。√くものふるまひはしるかりつらんものを、心うく
すかし給けるよとて、なをしばかりをとりて、びやう
ぶのうしろに入給ぬ。中将おかしきをねんじて、ひ
きたて給へるひやうぶのもとによりて、こぼ/\と
たゝみよせて、おとろ/\しうさはかすに、ないしは寝
びたれどいたくよしばみ、なよびたる人の、さき/"\
もかやうにて、心うごかすおり/\ありければ、なら
ひて、いみじく心あはたゝしきにも、この君をいかに
源ノ袖を
しきこえぬるにかとわびしさに、ふるふ/\つと
源
ひかへたり。たれとしられでいでなばやとおぼせ
ど、しどけなきすがたにて、かうふりなどうち
ゆがめてはしらんうしろで、思ふにいとおこなるべ
しと、おぼしやすらふ。中将いかで我としられ
きこえじと思て、ものもいはず。たゞいみじういか
れるけしきにもてなして、たちをひきぬけ
ば、女あがきみ/\とむかひて、手をするに、ほど
/\わらひぬべし
大人しき人に、かく似げなき振る舞ひをして、見つけられんことは恥ずか
しければ、「あな煩はし。出でなんに。√蜘蛛の振る舞ひは、知るかりつ
らんものを、心憂く、すかし給けるよ」とて、直衣ばかりを取りて、屏風
の後に、入り給ひぬ。中将、可笑しきを念じて、引き立て給へる屏風のも
とに寄りて、こぼこぼとたたみ寄せて、おどろおどろしう騒がすに、内侍
は寝びたれど、いたくよしばみ、なよびたる人の、先々もかやうにて、心
動かす折々ありければ、ならひて、いみじく心慌ただしきにも、この君を、
いかにし聞こえぬるにかと、佗しさに、ふるふふるふ、つとひかへたり。
誰と知られで、出でなばやとおぼせど、しどけなき姿にて、冠(かうふり)
など、打歪めて走らん後で、思ふに、いと烏滸なるべしと、おぼしやすら
ふ。中将、いかで我と、知られ聞こえじと思ひて、物も言はず。ただいみ
じう怒るれる気色に、もてなして、太刀を引き抜けば、女、「あが君。あ
が君」と向かひて、手を擦るに、ほどほど笑ひぬべし。
引歌
√蜘蛛の振る舞ひ
古今集 仮名序 墨滅歌 巻第十四
思ふてふ言の葉のみや秋を経て下
そとほり姫のひとりゐて帝を恋ひ奉りて 衣通姫
我が背子が来べき宵也ささがにの蜘蛛のふるまひかねて知るしも