平家物語巻第十二 しげひら 一 重衡のきられの事 さるほど 去程に本三位の中将、しげひらの卿をば、かのゝ介むねもち にあづけられて、こぞよりいづのくにゝおはしけるが、南都 の大衆、しきりに申ければ、さらば御かいさるべしとて、源三 まご 位入道の孫、いづの蔵人の大夫、よりかねにおほせて、つゐに ならへぞわたされける。今度は都の内へ入られず、大津より 山しなどをりに、だいご路をへてゆけば、ひのはちかかりけり。 此北の方と申は、とりかひの中納言、これざねのむすめ、五 条の大納言、国つなのやうじ、せんていの御めのと、大納言 のすけのつぼねとぞ申ける。中将一の谷にて、いけどりにせ られ給ひて後はせんていにつき参らせて、おはしけるが、だん のうらにて海にしづみ給ひしかば、ものゝふのあらけなき にとらはれて、きうりにかへり、あねの大夫三位に同じゆく つゆ して、日野といふ所にぞまし/\ける。三位の中将の露 の命、草ばのすゑにかゝつて、いまだきへやり給はぬと聞 給ひて、あはれいかにもして、かはらぬすがたを今一たび、みもし 見えばやと思はれけれ共、それもかなはねば、たゞなくより外 のなぐさみなくて、明かしくらし給ひけり。三位の中将守 ごのぶし共に宣ひけるは、扨も此程をの/\の、なさけ ふかうほうじんせられける事こそ、有がたううれしけ れ。おなじうはさいごに今一度、ほうをんかうむりたき事 有。われは一人の子なければ、うきよに思ひをく事なし。年 ごろちぎりたりし女ばうの、日野といふ所に有と聞。今一 度たいめんして、後生の事をもいひをかばやと、思ふはいかに いわき なみだ との給へば、ぶし共も岩木ならねば、みな涙をながひて、誠 に女ばうなどの御事は、何かくるしう候べき、とう/\とてゆる 平家物語巻第十二
一 重衡のきられの事
去程に、本三位の中将、重衡の卿をば、狩野介宗茂に預けられて、去年より伊豆の国におはしけるが、南都の大衆、頻りに申しければ、さらば御かいさるべしとて、源三位入道の孫、伊豆の蔵人の大夫、頼兼に仰せて、遂に奈良へぞ渡されける。今度は都の内へ入られず、大津より山科通りに、醍醐路を経て行けば、日野は近かりけり。
此北の方と申すは、鳥飼の中納言伊実の娘、五条の大納言、邦綱の養子、先帝の御乳母、大納言の輔の局とぞ申ける。中将、一の谷にて、生け捕りにせられ給ひて後は、先帝に付き参らせて、おはしけるが、壇之浦にて海に沈み給ひしかば、武士の荒けなきに捕らはれて、郷里に帰り、姉の大夫三位に同宿して、日野といふ所にぞましましける。 三位の中将の露の命、草葉の末に懸って、未だ消へやり給はぬと聞き給ひて、哀れいかにもして、変はらぬ姿を今一度、見もし見えばやと思はれけれども、それも叶はねば、ただ泣くより外の慰みなくて、明かし暮らし給ひけり。 三位の中将、守護の武士共に宣ひけるは、 「扨も此程各々の、情け深う芳心せられける事こそ、有り難う嬉しけれ。同じうは最後に今一度、芳恩被りたき事有り。我は一人の子無ければ、憂き世に思ひ置く事無し。年比契りたりし女房の、日野といふ所に有りと聞く。今一度対面して、後生の事をも言ひ置かばやと、思ふは如何に」と宣へば、武士共も岩木ならねば、みな涙を流ひて、「誠に女房などの御事は、何か苦しう候べき」とうとうとて許 日野 従三位平重衡御墓