那須与一宗高は
下野國の住人なり元暦
二年二月廿八日八島
合戦の刻平家の方
より飾りたる船一艘汀へ
漕よせ渚に向かひ
舩のへさき
の○長き
竿の先に日の
丸畫たる扇をゆひ
附けて建礼門院の后立の
とき千人のうちより撰ばれたる
玉虫の前といふ美女柳五重に
紅の袴着て袖笠被ぎて立てり
○源氏方に是を見て○は
此扇を射るものありやとて○
○○んと義経与一に命じて
是を射て落とすべしといふ与一
畏りて海中に馬を乗り入れ
矢頃をはづみ兵と射 那須
るにあやまらず彼扇の 与一
要をふつと射切たり 宗高
与一此時生年十七才敵も
味方もあつとばかり感○