古筆家
平沢弥四郎(のちの古筆了佐)は、佐々木源氏の末流として近江国西川に生まれた。若い頃、京都に出て、父とともに烏丸光広に入門し、和歌と書を学んだ。光広は特に古筆の鑑識に長けており、弥四郎も古筆鑑定の術を体得し、腕を上げていった。そして、光広から古筆の鑑定を専業にしてはどうかと勧められ、これをきっかけに話がまとまり、豊臣秀次より古筆の姓を名乗る命を受け、秀次自らが発注した「琴山」という純金の鑑定印を与えられた。
平沢
宗休
┃
┃
了1572
佐1662
┃①
┏━━━┳━┻━┳━━━┓
清 了1612 了1607 勘 ?
円 雪1675 栄1678 兵1650
尼 ┃ ┃② 衛
┃ ┃ ┃ ┃①
了1670 了1645 了1645 了1610
周1686 珉1701 祐1684 任1673
④ ┃⑤ ③ │②
┃ │
了1674 了1656
音1725 仲1736
┃⑥ ┃③
┃ ┃
了1704
延1774
┃⑦
┃
了1740
泉1782
│⑧
│
了1751
意1834
┃⑨
┃
了1790
伴1853
┃⑩
神田家
道僖━━道智━━道僖━━道伴━━道僖━┓
┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
┗道古(了意)⑨──道伴
━実子
─養子
平沢弥四郎(のちの古筆了佐)は、佐々木源氏の末流として近江国西川に生まれた。若い頃、京都に出て、父とともに烏丸光広に入門し、和歌と書を学んだ。光広は特に古筆の鑑識に長けており、弥四郎も古筆鑑定の術を体得し、腕を上げていった。そして、光広から古筆の鑑定を専業にしてはどうかと勧められ、これをきっかけに話がまとまり、豊臣秀次より古筆の姓を名乗る命を受け、秀次自らが発注した「琴山」という純金の鑑定印を与えられた。
平沢
宗休
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了1572
佐1662
┃①
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清 了1612 了1607 勘 ?
円 雪1675 栄1678 兵1650
尼 ┃ ┃② 衛
┃ ┃ ┃ ┃①
了1670 了1645 了1645 了1610
周1686 珉1701 祐1684 任1673
④ ┃⑤ ③ │②
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了1674 了1656
音1725 仲1736
┃⑥ ┃③
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了1704
延1774
┃⑦
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了1740
泉1782
│⑧
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了1751
意1834
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了1790
伴1853
┃⑩
神田家
道僖━━道智━━道僖━━道伴━━道僖━┓
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┗道古(了意)⑨──道伴
━実子
─養子