ぬれにぞぬれし色はかはらず
後京極摂政太政大臣
きり/"\すなくや霜よのさむしろに
ころもかたしきひとりかもねむ
二條院讃岐
わが袖はしほひに見えぬ奥の石の
千載集
歌合し侍りける時、恋の歌とてよめる
殷富門院大輔
(見せばやな雄島のあまの袖だにも)濡れにぞ濡れし色はかはらず
新古今和歌集巻第五 秋歌下
百首歌奉りしに
摂政太政大臣
きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかも寝む
正治二年後鳥羽院初度百首
千載集
寄石恋といへる心を
二条院讃岐
我が袖は潮干に見えぬ沖の石の(人こそ知らねかわく間ぞなき)
二條家為氏卿
二条為氏
鎌倉時代中期の公卿・歌人。御子左家の嫡流で、藤原為家の長男。和歌の家である二条家(二条派)の祖。
二条為氏筆 東京国立博物館蔵
為氏筆とは認められないが、二行書きの室町時代の百人一首(90、91、92)か百人秀歌と思われる。
二条院讃岐の『沖の石の』が『奥の石の』になっている。
令和元年8月28日 參點陸