おくるりやうりくを
送梁六
ちやうせつ
張説
はりやういちぼう
巴陵一望
とうていのあきひゝに
洞庭秋日
みるこほうすい
見孤峰水
しやうにうかむをきくならく
上浮聞道
しんせんすべから
神仙不可
まじわるこゝろしたかつてこ
接心隨湖
すいにともにゆう/\
水共悠々
はりやうぐんのかたからとう
ていこを見れはいちめんにく
もりもなくまい日こはらの
はなれしまかたつたひとつ とうていのみつのうへにうか むてあるかみゆるこなた はあのこはらをはるかに めあてにゆきあとをかく してせんどうしゆぎやう せらるゝ。せんにんになつてにん けんにはましわられぬげなみへ ぬところなれはまたしもなれ はもひゞに見ゆるところなれ はこなたをおもひわがこゝろこ すひのことくはてもかぎりも なくおもひくらすであろふ。
梁六を送る 張説 巴陵(はりょう)一望す、洞庭の秋。 日(ひび)に見る、孤峰の水上に浮ぶを。 聞道(なら)く、神仙は接すべからずと。 心は湖水に随って共に悠々たり。
意訳 洞庭山に登れば、洞庭湖の秋の景色が一望出来る。 また、日々、君が住む君山が湖水に浮かぶ姿を見られる。 しかし、聞くところによれば、隠棲して神仙の世界に入った君と俗人である私は会うべきでは無いらしい。 しかし、心は、湖水のままに、共に君を深く思慕するよ。
※梁六 梁知微と推察されている。梁知微は潭州の刺史で、「梁知微の海東に渡るを送る」と言う張説の詩も残っている。六は排行で一族の六番目。張説が岳州の刺史の頃の作。
※巴陵 中国にかつて。南朝宋から唐代にかけて、かつてあった郡名。現在の湖南省岳陽市岳陽県一帯に設置された。ここでは「自洞庭山作」と言う本も有り、洞庭湖の洞庭山の事。
※孤峰 洞庭湖の君山。
※神仙 君山には、洞庭湖の女神が住むと言われる。
Wikipediaより
参考 同地の岳陽楼は、赤壁の戦いの後、呉の魯粛が水軍を訓練する際の閲兵台として築いたものがこの楼の始まりとされる。 唐代、岳州に刺史として左遷されてきた張説が716年(開元4年)に魯粛の軍楼を改修して岳州城(岳陽城)の西門とし、南楼と称した。「岳陽楼」の名もこの頃につけられた。張説が才子文人と共にこの楼で詩を賦してからその名が高まり、後に孟浩然や李白ら著名な詩人たちもここを訪れて詩を賦し、「天下の楼」とうたわれた。
唐詩選畫本 七言絶句 巻一
はなれしまかたつたひとつ とうていのみつのうへにうか むてあるかみゆるこなた はあのこはらをはるかに めあてにゆきあとをかく してせんどうしゆぎやう せらるゝ。せんにんになつてにん けんにはましわられぬげなみへ ぬところなれはまたしもなれ はもひゞに見ゆるところなれ はこなたをおもひわがこゝろこ すひのことくはてもかぎりも なくおもひくらすであろふ。
梁六を送る 張説 巴陵(はりょう)一望す、洞庭の秋。 日(ひび)に見る、孤峰の水上に浮ぶを。 聞道(なら)く、神仙は接すべからずと。 心は湖水に随って共に悠々たり。
意訳 洞庭山に登れば、洞庭湖の秋の景色が一望出来る。 また、日々、君が住む君山が湖水に浮かぶ姿を見られる。 しかし、聞くところによれば、隠棲して神仙の世界に入った君と俗人である私は会うべきでは無いらしい。 しかし、心は、湖水のままに、共に君を深く思慕するよ。
※梁六 梁知微と推察されている。梁知微は潭州の刺史で、「梁知微の海東に渡るを送る」と言う張説の詩も残っている。六は排行で一族の六番目。張説が岳州の刺史の頃の作。
※巴陵 中国にかつて。南朝宋から唐代にかけて、かつてあった郡名。現在の湖南省岳陽市岳陽県一帯に設置された。ここでは「自洞庭山作」と言う本も有り、洞庭湖の洞庭山の事。
※孤峰 洞庭湖の君山。
※神仙 君山には、洞庭湖の女神が住むと言われる。
Wikipediaより
参考 同地の岳陽楼は、赤壁の戦いの後、呉の魯粛が水軍を訓練する際の閲兵台として築いたものがこの楼の始まりとされる。 唐代、岳州に刺史として左遷されてきた張説が716年(開元4年)に魯粛の軍楼を改修して岳州城(岳陽城)の西門とし、南楼と称した。「岳陽楼」の名もこの頃につけられた。張説が才子文人と共にこの楼で詩を賦してからその名が高まり、後に孟浩然や李白ら著名な詩人たちもここを訪れて詩を賦し、「天下の楼」とうたわれた。
唐詩選畫本 七言絶句 巻一