図1 各遺跡の位置(Google earthより作成)
1 はじめに
王昌齢の「従軍行三首 其二」は、西域の前線の辺塞に駐屯する兵士の心情を詠ったもので、多くの地名が出てくる。
青海長雲暗雪山 青海の長雲、雪山暗く、
孤城遙望玉門關 孤城、遙かに望む玉門関。
黄沙百戰穿金甲 黄沙百戰、金甲を穿つも、
不破樓蘭終不還 楼蘭を破らずんば終に還らず。
とあり、地名は、「青海」、「雪山」、「玉門関」、「楼蘭」であり、このうち、場所が確定しているのは、「玉門関」と「楼蘭」である。
この地名について、前野直彬注解 唐詩選 岩波文庫によれば、「青海」は、ココノール湖、「雪山」は、祁連山としている。
2 各地名の概要 各地のおおよその位置は、表1のとおりである。なお、ココノール湖や祁連山脈は広大な地域を指す事から、適当な地点を示している。
表1 各地のおおよその位置 経度 緯度 海抜 敦煌 40°08'32"N 94°39'43"E 1,144 玉門関 40°21'07"N 93°51'07"E 1,029 青海 ココノール湖 36°52'52"N 100°13'22"E 3,194 楼蘭 40°31'37"N 89°42'28"E 800 祁連山脈 38°16'15"N 100°21'52"E 3,790
これをGoogle earthでプロットしてみると、図1のとおりである。 「楼蘭」と「玉門関」の間は、約353kmである。戦をするには遠すぎる事から、場所は特定出来ないが、この間に城を築き駐屯していたと考えて良い。 「玉門関」と「雪山」(祁連山)の間は、約607km、祁連山脈は4,000m級の高峰ではあるが、詩の視点から、雪山←青海←孤城であり、全く違う方角から視点となってしまう為、孤城は、とても青海とともに眺める事は出来ない可能性が大きい。 また、ココノール湖の湖面は海抜3,192mとあり、玉門関の1,029mから見え上げても湖面が見えるはずもなく、東京日本橋から琵琶湖を眺めるようなものである。
3 地平線と視野 このような広大な地域を見る時には、地球規模の視点が必要となって来る。つまり地球は丸く、地平線がその視野を遮る。 これはピタゴラスの三平方の定理を使用しなければならない。 (参考図) x^2=(R+h1)^2ー(R+h2)^2 地平線との距離:x 地球の半径:R=6370km
h1:山頂の海抜 h2:見たい地点の海抜 これを計算すると、 祁連山から玉門関の方向を見た時の地平線は、187.5km。両者の間は607kmなので、見えるはずもない。 次に玉門関から楼蘭は、54kmなので、地平線の彼方となっている。 逆に言えば、「孤城、遙かに望む玉門関」は、王昌齢の居る孤城は玉門関から50km以内にあったとなる。付近の海抜は930mなので、計算すると約35km以内となる。
4 青海と雪山の推察 (1)青海 楼蘭は、さまよえる湖ロプノール湖の湖畔で、漢代に発展した。しかし、7世紀に玄奘三蔵がインドからの帰途、廃墟となった楼蘭に立ち寄ったと『大唐西域記』に記されているので、7世紀には廃墟となったと推察され、1900年スウェーデンの探検家スヴェン・ヘディンに発見されるまでは、その存在は忘れられていた。 このロプノール湖は、天山山脈からの雪解け水のタリム川から水が流れて出来ていた。これを青海とすれば、孤城→青海→楼蘭と言う視点が出来る。(2)雪山雪山を祁連山でないとすると、天山山脈が残る。最高峰はポベーダ山(7,439 m)で、天山山脈はタリム盆地の北西に位置し、弧城→青海(ロプノール湖)→天山で、視線が一致する。
(参考)天山(ポベーダ山)からの視点(Google Earthより作成)