事可然躰
大方のあきのね覚の
ながき夜も君をぞ
いのる おもふ
身を とて
よみ:おおかたのあきのねざめのながきよもきみをぞいのるみをおもうとて 隠
意味:大抵の秋の夜長は、途中で寝覚めてしまいますが、その間ずっと院の事を思って祈っております。陛下の恩恵を受けている身として。
備考:卿相侍臣妬歌合
芝山宰相廣豊卿 芝山広豊(1674ー1723)
江戸時代前期から中期にかけての公卿。官位は従三位・参議兼右衛門督。藤原北家高藤流勧修寺家庶流である芝山家3代当主。
延宝2年(1674年)、左中将・四辻季輔の次男として誕生。母は右大臣・久我広通の娘。
権中納言・芝山定豊の養子となる。和歌、書画を能くした。
1679 従五位下1714 正三位
1719-1722 参議 ★
1719-1722 右衛門督
参考
人麻呂 ほのぼのと 公任 芝山広豊筆色紙コレクション - 新古今和歌集の部屋
柿本人麿ほの/"\とあかしのうらの朝ぎりにしまがくれゆくふねをしぞおもふ古今集羇旅歌題知らずよみ人知らずほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れ行く舟をしぞ思ふこの...
令和4年7月28日 壱