心詞いづれもいとよろしく侍べし。
七百九十七番
左 左大臣
苔のうへにあらし吹しくから錦たゝまくおしきもりのかげ哉
右 定家朝臣
いはしろの野中さえゆくまつ風にむすびそへつる秋の初霜
左哥上句は不堪紅葉青苔地といへる文集詩をおもひ
下句はまとゐせる夜はといへる古今哥によせ
てもりのかげかなと侍すゑの句までこゝろたく
みにおも影をかしくこそ見え侍めれ。あらしふき
しくにしきにてもみぢをこと葉にあらはされ侍ら
ぬも業平朝臣のからくれなゐにみづくゝると
はといへる哥思ひいでられてこゝろもふかく
侍べし。
右哥はつ霜むすぶといはむとばかりにこゝろもとけ
ぬいはしろのまつまではるかにおもひよりけむ。まことにみ
どころなくや侍らむ。
七百九十八番
左 前権僧正
秋はいぬとをぐらの山になく鹿のこゑのうちにやしぐれそむらん
心詞いづれもいと宜しく侍べし。
七百九十七番
左 左大臣
苔の上に嵐吹きしく唐錦たたまくおしき森の陰哉
右 定家朝臣
岩代の野中さえゆく松風に結び添へつる秋の初霜
左哥、上句は不堪紅葉青苔地といへる文集詩を思ひ、下
句はまとゐせる夜はと言へる古今歌に寄せて、森の陰か
なと侍る末の句まで心巧みに、面影をかしくこそ見え侍る
めれ。嵐吹き敷く錦にて、紅葉を詞に表され侍らぬも、
業平朝臣の唐紅に水くくるとはといへる歌思ひ出でられ
て心も深く侍べし。
右哥、初霜結ぶと言はむとばかりに、心もとけぬ岩代の
松まで、遥かに思ひよりけむ。誠に見所無くや侍るらむ。
七百九十八番
左 前権僧正
秋は寝ぬと小倉の山に鳴く鹿の声のうちにや時雨染むらん
( 右 通具朝臣)
(干る間無き袖をば露の宿りにて心の秋よいつかつくべき)
※白氏文集
秋雨中贈元九
不堪紅葉青苔地 又是涼風暮雨天 莫怪独吟秋思苦 比君校近二毛年
和漢朗詠集
紅葉
不堪紅葉青苔地又是涼風暮雨天 白
※古今和歌集巻第十七 雜哥中
題知らず よみ人しらず
思ふとちまとゐせる夜は唐錦たたまくをしき物にそありける
※古今和歌集巻第五 秋哥下
二条の后の春宮のみやす所と申しける時に、御屏
風にたつた河にもみぢながれたるかたをかけりけ
るを題にてよめる
なりひらの朝臣
ちはやふる神世もきかす竜田河唐紅に水くくるとは
本歌 古今和歌六帖(万葉集)
夕されば小倉の山に鳴く鹿の今夜は鳴かずいねにけらしも
(本歌 源氏物語 椎本 大君)
色変はる袖をば露の宿りにて我が身ぞ更に置き所無き
建仁二年(1202)9月2日後鳥羽院より30名の歌人に百首歌を奉じさせ、75首を一巻として、一人二巻、十人の判者に判じさせ、翌年3月完成したペーパー上の歌合。判者は、春1,2を忠良、春3,4を俊成、夏1,2を通親、夏3,秋1を良経、秋2,3を後鳥羽、秋4,冬1を定家、冬2,3を季経、祝,恋1を師光、恋2,3を顕昭、雑1,2を慈円とした。通親は途中10月21日没したため、関係部分は未完。
令和4年12月6日 壱點