安宅 四番目物 作者不明
頼朝から逃げていた義経は、加賀の安宅関に着き、富樫の某による詮議により窮地に立つが、弁慶が東大寺再建の勧進帳を読んで難を逃れる。
しかし義経の笛を怪しまれた弁慶が、義経を金剛杖で打ちすえて疑いを晴らして無事通過する。のちに歌舞伎や映画で勧進帳として有名。
シテ・同山 旅の衣は篠懸の、旅の衣は篠懸の、露けき袖や霑るらむ。
シテ・同山 鴻門楯破れ、都の外の旅衣
同 日も遙々の越路の末、思ひやるこそ遙かなれ
シテ 扨御共の人々は
同 伊勢の三郎駿河の次郎、片岡増尾常陸坊
シテ 辨慶は先達の姿となりて
同山 主從以上十二人、いまだならはぬ旅姿、袖の篠懸露霜を、今日分染めていつまでの、限りもいさや白雪の、越路の春に急ぐなり。
同山 時しも比は如月の、時しも比は如月の、如月の十日の夜、月の都を立ち出て。
同山 これやこの、行も歸るも別れては、行も歸るも別れては、知るも知らぬも、逢坂の山隱す、霞ぞ春は恨しき、霞ぞ春は恨しき。
同山 浪路遙かに行舟の、浪路遙かに行舟の、海津の浦に着きにけり、しののめ早く明け行けば、淺茅色づく愛發山。
同山 気比の海、宮居久しき神垣や、松の木芽山、なを行先に見えたるは、杣山人の板取、川瀬の水の淺洲や、末は三國の湊なる、蘆の篠原波寄せて、靡く嵐の烈しきは、花のあたかに着きにけり、花の安宅に着きにけり。
シテ いかに申上候、暫く此所に御休みあらふずるにて候。
淺茅色づく愛發山
巻第六 冬歌 657 柿本人麿
題しらず
矢田の野に淺茅色づくあらち山嶺のあわ雪寒くぞあるらし