覺快法親王かくれ侍りて周忌のはてに墓所にまかりてよみ侍りける
前大僧正慈圓
そこはかと思つゞけてきてみれば今年のけふも袖はぬれけり
母の爲に栗田口の家にて佛供養し侍ける時はら
から皆まうで來あひてふるき面影などさらに忍
侍ける折りしも雨かきくらし降り侍ければ歸るとて
かの堂の障子に書つけ侍りける
右大將忠經
誰もみな涙の雨にせきかねぬ空もいかヾはつれなかるべき
なくなりたる人の數をそとふばに書て哥よみ侍りけるに
法橋行遍
みし人は世にもなぎさのもしほ草書をくたびに袖ぞしをるゝ
読み:そこはかとおもいつづけてきてみればことしのきょうもそではぬれけり 隠
意味:色々と思い続けて亡き師の墓を来てみれば、今年の一周忌も袖が濡れてしまった
作者:じえん1155~1225藤原忠通の子兼実の弟。天台宗の大僧正で愚管抄を著す。
備考:そこはかと墓の掛詞。覚快法親王は鳥羽院の皇子で慈円の師。養和元年十一月六日没。その一周忌の法要。
読み:たれもみななみだのあめにせきかねぬそらもいかがはつれなかるべき 隠
作者:藤原忠経ふじわらのただつね1173~1229兼雅の子。花山院右大臣とも呼ばれる。
読み:みしひとはよにもなぎさのもしおぐさかきおくたびにそでぞしおるる
作者:ぎょうへん1181~1264俗姓は源。仁和寺大僧正。法橋任尊。