一壺入入
黄鶴楼
崔顥
昔人已乘白雲去此地空
餘黃鶴楼黃鶴一去不復
返白雲千載空悠々晴川
歷々漢陽樹芳草萋々鸚
鵡洲日暮郷関何處是烟
波江上吏人愁 印印
○せきじんすでにはくうんにじやうしてさる。このちむなしくあます、くわうくわくろう。くわうかわくひと たびさつてまたかへらず。はくうんせんざいむなしくゆふ/\。せいせんれき/\たりかんやうのじゆ。はうたう せい/\たりあふむしう。じづぼきやうくわんいづれのところかぜなる。ゑんはこうしやうはとをしてうれへ しむ。 昔此所へ仙人がきたり。そんで黄寉に乗して去たいまこの地にむなしくのこつてあるものは黄寉楼 ばかりで仙人も寉も再び來らず。そのときよりかわらぬものは白雲のみ千さいをへて空く悠々と限り もない事じや。川の面もはつきりとみへわたり漢陽の樹木が歴/\としてみへる。昔黄祖の禰衡を殺た 鸚鵡刕の方をみれば芳草のみ萋/\とはへてある楼に上てくれ方になつたゆへ故郷が恋しふなり のぞむてみれどもいづれの所か是ならどこもしれぬ。昔はさり黄寉は來らず禰衡は居らず故郷を望めば 烟波のみが目にふるしゆへ烟波江上が我を愁へさせるといふが使の字である。黄鶴楼
崔顥
昔人已乗白雲去 昔人(せきじん)已に白雲に乗じ去り、
此地空餘黃鶴楼 此の地空しく余す黃鶴楼。
黃鶴一去不復返 黃鶴一たび去って復た返らず、
白雲千載空悠々 白雲千載空しく悠々たり。
晴川歷々漢陽樹 晴川歷々たり漢陽の樹、
芳草萋々鸚鵡洲 芳草萋々たり鸚鵡洲。
日暮郷関何處是 日暮郷関、何れの処か是なる。
烟波江上使人愁 烟波江上人をして愁へしむ。
意訳 昔ここを訪れた仙人は、すでに黄鶴に乗って飛び去り、 今この地には黄鶴楼だけが空しく残っている。
黄鶴は飛び去ったまま、帰って来ず、 白雲だけが千年の昔も今も悠々と流れ続けている。
晴れ渡った長江の対岸には漢陽の町の樹々がはっきりと見え、 芳しい花を付けた草が鸚鵡洲のあたりに青々と生い茂っている。
日暮れの中、我が故郷はどのあたりであろうか? やがて夕靄が立ち込め川波が続く長江の風景は、私の心に郷愁を誘うのだ。 ※黃鶴楼 湖北省武漢市武昌区の揚子江岸にある。 昔、辛氏という人の酒屋があった。そこにみすぼらしい身なりをした仙人がやってきて、酒を飲ませて欲しいという。辛氏は嫌な顔一つせず、ただで酒を飲ませ、それが半年くらい続いた。ある日、道士は辛氏に向かって「酒代が溜まっているが、金がない」と言い、代わりに店の壁にみかんの皮で黄色い鶴を描き、去っていった。客が手拍子を打ち歌うと、それに合わせて壁の鶴が舞った。そのことが評判となって店が繁盛し、辛氏は巨万の富を築いた。その後、再び店に仙人が現れ、笛を吹くと黄色い鶴が壁を抜け出してきた。仙人はその背にまたがり、白雲に乗って飛び去った。 辛氏はこれを記念して楼閣を築き、黄鶴楼と名付けたという。 ※崔顥(さい こう、? - 754年)は、中国唐の詩人。汴州(現在の河南省開封市)の出身。開封市は、武昌から北約480kmにある。
※漢陽 武漢市漢陽区。武昌の揚子江対岸。
※鸚鵡洲 武昌の西南、揚子江の中州。後漢末、禰衡は、曹操などを非難し、横柄な態度をとったため、最後は黄祖将軍に鸚鵡州で殺された。