ふし西の風はげしう吹ければ判官の乗給へる舟は、すみ よしの浦へ打あげられて、それより吉野山へぞこもら れける。よしのほうしにせめられて、ならへおつ。なら法し にせめられて、又都へかへり上り北こくにかゝつて終におく へぞ下られける。判官の都よりぐせられたりける、十よ人の 女ばうたちをば、みなすみよしうらにすておかれたりければ、 こゝやかしこの松の下、いさごのうへにたふれふし、あるひははか まふみしたぎ、あるひは袖かたしいて、なきゐたりうけるを 住吉の神官是をあはれんで、乗物共をしたてゝみな 京へぞをくりける。判官のむねとたのまれたりける、おがたの 三らこれよし、しだの三らぜんじやうよしのり、びぜんのかみ ゆきいゑらが乗たる舟共も、こゝやかしこのうら/\、嶋々に うちあげられて、たがひに其行ゑをもしらざりけり。西 の風たちまちにはげしう吹けるは、平家のをんりやうと ぞ聞えし。同き七日の日、北でうの四ら時政、六万よきを相
ぐして上らくす。あくる八日の日、ゐんざんして、いよの守源の よしつね、ならびにびぜんの守行家しだの三らぜんじやう よしのり、みなついたうすべきよしの、ゐんぜん給はるべき由 ぞ下されける。去ぬる二日の日は、よしつね申うくるむね にまかせて、より朝そむくべきよしの、院のちやうに よつて、よし經うつべき由の院宣を下さる。あしたにか はり夕申にへんず。たゞよの中のふぢやう社かなしけれ。 平家物語巻第十二
五 判官都落ちの事 節、西の風激しう吹きければ、判官の乗給へる舟は、住吉の浦へ打上げられて、それより吉野山へぞ籠もられける。吉野法師に攻められて、奈良へ落つ。奈良法師に攻められて、又都へ帰り上り、北国にかかつて、終に奧へぞ下られける。 判官の都より具せられたりける、十余人の女房達をば、皆、住吉の浦に捨て置かれたりければ、ここやかしこの松の下、砂の上に倒れ臥し、或るひは袴踏みしたぎ、あるひは袖片敷いて、泣き居たりうけるを、住吉の神官、是を哀れんで、乗物どもを仕立てて、皆、京へぞ送りける。 判官の旨と頼まれたりける、緒方の三郎惟義、信太の三郎先生(ぜんじやう)義憲、備前の守行家らが乗たる舟どもも、ここやかしこの浦々、嶋々に打ち上げられて、互ひにその行方をも知らざりけり。西の風たちまちに激しう吹きけるは、平家の怨霊とぞ聞こえし。 同き七日の日、北条の四郎時政、六万余騎を相具して、上洛す。あくる八日の日、院參して、伊予の守源の義經、並びに備前の守行家、信太の三郎先生義憲、皆追討すべき由の、院宣給はるべき由ぞ下されける。去ぬる二日の日は、義經申し受くる旨に任せて、頼朝背くべき由の、院の庁によつて、義經討つべき由の院宣を下さる。朝(あした)に変はり夕(ゆふべ)申すに変ず。只、世の中の不定こそ悲しけれ。