爰にわれ、ふかき谷のほとり、閑なる林の間に、わづかなる方丈の草の菴をむすべり。(延徳本方丈記)
略本系方丈記には、方丈の庵の場所をを記す部分が少ない。
唯一「ふかき谷のほとり、閑なる林の間に」のみである。
これを、日野に当て嵌めた場合、深き谷では無い。
小塩山山麓の大原野はどう見ても谷とは言えない。
大原については、これたか親王谷と言えば谷とも言えるが、別名小原と言う程の小盆地となっている。
これを八瀬まで下ってくると、比叡山(大比叡標高848m)、横高山標(標高767m)と瓢箪崩山(標高532m)の間に高野川が流れ、深い谷を形成している。
又、上流に向かえば大尾山(標高631m)と焼杉山(標高718m)の間が谷を形成している。
その辺りとなると勝林院辺りになると考えられる。
以上の事から、方丈記の略本を執筆したのは、大原時代であると言う説の証拠の一つとして提起する。
略本系方丈記には、方丈の庵の場所をを記す部分が少ない。
唯一「ふかき谷のほとり、閑なる林の間に」のみである。
これを、日野に当て嵌めた場合、深き谷では無い。
小塩山山麓の大原野はどう見ても谷とは言えない。
大原については、これたか親王谷と言えば谷とも言えるが、別名小原と言う程の小盆地となっている。
これを八瀬まで下ってくると、比叡山(大比叡標高848m)、横高山標(標高767m)と瓢箪崩山(標高532m)の間に高野川が流れ、深い谷を形成している。
又、上流に向かえば大尾山(標高631m)と焼杉山(標高718m)の間が谷を形成している。
その辺りとなると勝林院辺りになると考えられる。
以上の事から、方丈記の略本を執筆したのは、大原時代であると言う説の証拠の一つとして提起する。