1 瀟湘八景
瀟湘八景は、中国の洞庭湖の南、瀟水と湘水が合流する地域の8つの勝景で、多くの絵画や漢詩(①、②)に取り上げられ、日本には禅宗とともに輸入され、五山文学として広まった。
その8つの景勝は、
山市晴嵐
漁村夕照
遠浦帰帆
瀟湘夜雨
煙寺晩鐘
洞庭秋月
平沙落雁
江天暮雪
であり、近江八景や南都八景、金沢八景、博多八景など日本の名勝地にも肖って称された。
2 冷泉為相和歌
堀川貴司氏によると、
「ここまで、漢詩を中心に見てきましたが、早い時期から和歌も作られています。冷泉家の始祖為相(一二六三~一三二八)の作品は、その最初であろうと思います。…略…近世において瀟湘八景和歌といえばこの作品が必ずと言ってよいほど使われています。…略…。といっても為相作であるのは確実かというと、その証明は簡単ではありません。」(56ページ)
とし、為相の歌集藤谷和歌集に入っていないが、
「しかし、護国寺本『諸寺縁起集』紙背の康永元年(一三四二)書状に為相の八景和歌についての言及があることから、現行の和歌かどうかは確認できないにせよ、為相の作品が存在したことは確実であろうと思います。」(同)
とし、禅寺への瀟湘八景の輸入を早くから知って、歌題としたと推察している。
3 筆者の官位官職からの筆年の推計
8人の筆者の官位官職から、公卿補任の官歴を見ると、
中院通古 中納言
生没年:1750-1795
1781 権中納言十二月十一日任
1782 従二位
1785 正二位
1787 権大納言
飛鳥井雅威 侍従三位
生没年:1758-1810
1783 従三位 正月五日任★
1783 侍従 正月十三日任★
1786 正三位
1789 右衛門督
甘露寺篤長 左大弁宰相
生没年:1749-1812
1781 左大弁
1781 参議
1782 従三位
1785 正三位
1785 権中納言 十二月六日任★
庭田重嗣 宰相中将
生没年:1757-1831
1773 左近衛権中将
1777 参議
1789 権中納言
冷泉為章 右衛門督
生没年:1752-1822
非参議正三位右衛門督
1785 参議 八月十七日任★
四辻前公亨 前大納言
生没年:1728-1788
1754 参議
正二位前権大納言
烏丸光祖 中納言
生没年:1746-1806
1780 権中納言
1782 従二位
1785 正二位
1787 権大納言 十月十三日任
大炊御門家孝 大納言
生没年:1747-1798
1762 権大納言
1766 正二位
1781-1782 兼右近衛大将
1781 兼右馬寮御監
1782-1783 兼皇太后宮大夫
1787 内大臣 五月二十六日任
となり、全ての官位が一致するのは、
天明三年(1783)正月から
天明五年(1785)八月まで
となる。
参考
博物館ディクショナリー 瀟湘八景図を楽しむ 京都国立博物館
瀟湘八景~詩歌と絵画に見る日本化の様相~ 堀川貴司著 臨川書店 平成14年
國史体系 57 公卿補任 第五編 吉川弘文館
平成29年2月25日 八枚陸點貳七
瀟湘八景は、中国の洞庭湖の南、瀟水と湘水が合流する地域の8つの勝景で、多くの絵画や漢詩(①、②)に取り上げられ、日本には禅宗とともに輸入され、五山文学として広まった。
その8つの景勝は、
山市晴嵐
漁村夕照
遠浦帰帆
瀟湘夜雨
煙寺晩鐘
洞庭秋月
平沙落雁
江天暮雪
であり、近江八景や南都八景、金沢八景、博多八景など日本の名勝地にも肖って称された。
2 冷泉為相和歌
堀川貴司氏によると、
「ここまで、漢詩を中心に見てきましたが、早い時期から和歌も作られています。冷泉家の始祖為相(一二六三~一三二八)の作品は、その最初であろうと思います。…略…近世において瀟湘八景和歌といえばこの作品が必ずと言ってよいほど使われています。…略…。といっても為相作であるのは確実かというと、その証明は簡単ではありません。」(56ページ)
とし、為相の歌集藤谷和歌集に入っていないが、
「しかし、護国寺本『諸寺縁起集』紙背の康永元年(一三四二)書状に為相の八景和歌についての言及があることから、現行の和歌かどうかは確認できないにせよ、為相の作品が存在したことは確実であろうと思います。」(同)
とし、禅寺への瀟湘八景の輸入を早くから知って、歌題としたと推察している。
3 筆者の官位官職からの筆年の推計
8人の筆者の官位官職から、公卿補任の官歴を見ると、
中院通古 中納言
生没年:1750-1795
1781 権中納言十二月十一日任
1782 従二位
1785 正二位
1787 権大納言
飛鳥井雅威 侍従三位
生没年:1758-1810
1783 従三位 正月五日任★
1783 侍従 正月十三日任★
1786 正三位
1789 右衛門督
甘露寺篤長 左大弁宰相
生没年:1749-1812
1781 左大弁
1781 参議
1782 従三位
1785 正三位
1785 権中納言 十二月六日任★
庭田重嗣 宰相中将
生没年:1757-1831
1773 左近衛権中将
1777 参議
1789 権中納言
冷泉為章 右衛門督
生没年:1752-1822
非参議正三位右衛門督
1785 参議 八月十七日任★
四辻前公亨 前大納言
生没年:1728-1788
1754 参議
正二位前権大納言
烏丸光祖 中納言
生没年:1746-1806
1780 権中納言
1782 従二位
1785 正二位
1787 権大納言 十月十三日任
大炊御門家孝 大納言
生没年:1747-1798
1762 権大納言
1766 正二位
1781-1782 兼右近衛大将
1781 兼右馬寮御監
1782-1783 兼皇太后宮大夫
1787 内大臣 五月二十六日任
となり、全ての官位が一致するのは、
天明三年(1783)正月から
天明五年(1785)八月まで
となる。
参考
博物館ディクショナリー 瀟湘八景図を楽しむ 京都国立博物館
瀟湘八景~詩歌と絵画に見る日本化の様相~ 堀川貴司著 臨川書店 平成14年
國史体系 57 公卿補任 第五編 吉川弘文館
平成29年2月25日 八枚陸點貳七