塩田紅果句碑
はなやかに
紅果
さいて
さびしき
冬ざくら
偲翁碑
裏面
この道に
生きてしぐるる一日かな
紅果
塩田紅果
三重県生まれの昭和初期の金沢の俳人。蟻塔会主宰。
一すぢの 野風呂
俳系守りて
翁の忌
鈴鹿野風呂
1887年- 1971年の京都の俳人。高濱虚子に師事して、ホトトギス同人。京鹿子主宰。
元禄七年十月芭蕉翁浪花の客舎に
逝く。遺骸は粟津の義仲寺に葬せしも
郷里の門人土芳卓袋等翁の徳を慕
ひて遺髪を菩提所たる伊賀上野愛染院内に
埋め一基の碑を建て芭蕉翁故郷塚
と称え里此由来を汎く世に知らしめんとて翁の碑石を建て翁の遺徳と共
に永遠に伝えんとす。因って故郷
塚保存会諸氏等の請に応じ其顛末
を誌すと云爾。
白菊に
紅さしてくる
はつしぐれ
宝暦
四つの夏
塚のほとり
来ても鳴け
旅を卯月の
花に鳥
落る身を
花に啼入る
○かな
長月庵若翁
肥前大村藩士。文化七年八月伊賀に来た。弘化三年若翁門人逢室、芭蕉元社が建立。