↧
歌論 無名抄 俊頼基俊いどむ事
或人云 基俊は俊頼をば、「蚊虻の人とて、さはいふも、こむまのみちゆくにてこそあらめ。」といはれければ、俊頼はかへり聞て、「文時朝綱讀たる秀歌なし。躬恒貫之作たる秀句なし。」とぞのたまひける ※文時 菅原 文時(昌泰2年- 天元4年)は、平安時代中期の文人・政治家。右大臣・菅原道真の孫で、大学頭・菅原高視の次男。官位は従三位・式部大輔。菅三品と称される。 拾遺和歌集に1首が入首している。...
View Article芭蕉句碑 墓参 伊賀市
芭蕉 家はみな杖に しら髪の墓参り 元禄七年 続猿蓑 大津に侍りしを、このかみのもとより消息せられければ旧里に帰りて盆会をいとなむとて 季語:墓参り 愛染院境内
View Article日本書蹟大鑑 第十一巻 目次 蔵書
日本書蹟大鑑 小松茂美著 講談社 拾點伍 第十一 織田信長 森蘭丸 明智光秀 斎藤利三 柴田勝家 龍造寺隆信 筒井順慶 尊雅 高倉永相 五辻為仲 甘露寺経元 伊達輝宗 吉川元春 陽光院 大友宗麟 稲葉一鉄 三条西公国 徳大寺公維 建部伝内 北条氏政 狩野永徳 山上宗二 千利休 津田宗及 顕如 正親町天皇 今井宗久 勧修寺尹豊 九条稙通 飛鳥井雅春 豊臣秀次 尊朝法親王 足利義昭
View Article芭蕉句碑 愛妻供養 伊賀市
数ならぬ身とな おもひそ玉祭り ばせを 元禄七年七月 有磯海 尼寿貞が身まかりけるときゝて 故郷塚前 寿貞 芭蕉の愛妻。まさ、ふう、次郎兵衛母。元禄七年六月二日深川芭蕉庵にて病没。
View Article芭蕉句碑 愛染院句碑群 伊賀市
塩田紅果句碑 はなやかに 紅果 さいて さびしき 冬ざくら 偲翁碑 裏面 この道に 生きてしぐるる一日かな 紅果 塩田紅果 三重県生まれの昭和初期の金沢の俳人。蟻塔会主宰。 一すぢの 野風呂 俳系守りて 翁の忌 鈴鹿野風呂 1887年- 1971年の京都の俳人。高濱虚子に師事して、ホトトギス同人。京鹿子主宰。...
View Article日本書蹟大鑑 第十二巻 目次 蔵書
日本書蹟大鑑 小松茂美著 講談社 拾點伍 第十二巻 豊臣秀吉 久我季通 曾呂利新左衛門 前田利家 長宗我部元親 大谷吉継 石田三成 細川ガラシャ 安国寺恵瓊 前田玄以 里村紹巴 水無瀬兼成 園基継 甘露寺経遠 小早川秀秋 黒田如水 玉仲宗琇 南化玄興 里村昌叱 山内一豊 大友義統 柳生宗厳 榊原康政 千道安 結城秀康 西笑承兌 高倉永孝 鷲尾隆尚 細川幽斎 中山為親
View Article芭蕉句碑 無名庵跡 伊賀市
無名庵跡 冬籠り またより そはん 此はしら 元禄元年十二月 曠野、蓮の実、泊船集、続寒菊、翁草 元禄元年十二月五日尚白宛、三日益満宛書簡。 季語:冬籠り 場所:芭蕉翁生家
View Article春歌上 後鳥羽院 水郷春望
後鳥羽院 見わたせば山もと霞む水無瀬川 夕べは秋となに思ひけん 新古今和歌集巻第一 春歌上 をのこども詩をつくりて歌に合せ侍りしに 水郷春望といふことを 太上天皇 見わたせば山もとかすむ水無瀬川夕べは秋となにおもひけむ 元久詩歌合 島本駅東口 案内図裏面
View Article八代集 金葉集 下 蔵書
八代集 十五冊本 金葉集 下 和泉式部保昌にくして丹後國に侍 ける比都に哥合のありけるに小式部 内侍哥よみにとられて侍けるを中納 言定頼つほねのかたにまうてきて哥 はいかゝせさせ給丹後へ人はつかはして けんやつかひまうてこすやいかに心もと なくおほすらんなどたはぶれて立ちけるを 引とめてよめる 小式部内侍 大江山いく野の道の遠ければまたふみもみず天の橋立
View Article八代集 詞花集 上 蔵書
八代集 十五冊本 詞花和謌集 上 一条院御時ならの八重桜を人の奉けるを そのをり御前に侍けれはその花を題に て哥よめとおほせられありけれは 伊勢大輔 いにしへのならの都の八重桜けふ九重ににほひぬる哉
View Article
More Pages to Explore .....