なり。又ふもとにはひとつのしは
のいおりあり。すなはちこのやま
もりかおるところなり。かしこに
こわらはあり。とき/\きたりて
あひとふらふ。もしつれゝなる時
はこれをともとして遊行すれ
は十さい。これは六十。そのよはひこ
とのほかなれとこゝろをなくさむ
る事これおなしあるひは
なり。
又麓には一つの柴の庵有り。
即ちこの山守が居る所也。
かしこに小童有り。
時々来たりて、相訪ふ。
もし徒然なる時は、これを友として遊行すれば、十歳、これは六十、その齢殊の外なれど、心を慰むる事、これ同じ。
或は
(参考)大福光寺本
ナリ
又フモトニ一ノシハノイホリアリ。
スナハチコノ山モリカヲル所也
カシコニコワラハアリ
トキトキキタリテアヒトフラフ
若ツレツレナル時ハコレヲトモトシテ遊行ス。
カレハ十歳コレハ六十。
ソノヨハヒコトノホカナレト心ヲナクサムルコトコレヲナシ。
或ハ