小 洛東祇園の片辺に一人の賤の女あり
擬百人一首 天然の美白白川院垣間見たまひて
倉 懸想の余り入りて女御に備たまふ依て
祇園女御と称す平相國清盛公は
貞信公 此女性の産所なり
小倉山 柳下亭種員筆記 祇園女御
みねの
もみぢ葉
こゝろ
あらば
今一たびの
御幸
またなん
国立国会図書館デジタルアーカイブ
小倉擬百人一首
早稲田大学演劇情報総合データベース
小倉擬百人一首
大判錦絵
版元:伊場屋仙三郎
絵師:朝桜楼(歌川)国芳
見立揃物
朝櫻樓
國芳画
歌川国芳
(寛政9年(1798年) - 文久元年(1861年))
画号は文政初年から万延元年にかけて一勇斎国芳といい、後に彩芳舎(文政中期)、朝桜楼(天保初年(1831年)から万延元年(1861年))、雪谷、仙真とも号した。歌川を称し、狂歌の号に柳燕、隠号に一妙開程芳といった。
伊場屋仙三郎
堂号は団扇堂または団仙堂。活動期は、文政~明治。
俗に伊場仙と呼ばれた錦絵地本問屋。団扇絵問屋。幕末の団扇の大半を扱うほか、一枚絵も出版する。
歌川豊国「今様十二ヶ月」や歌川国芳「賢女八景」、「小倉擬百人一首」など。
彫竹
横川竹次郎(生没年不詳、嘉永〜文久(1848〜1864)の頃に活躍)
柳下亭種員
文化四(1807年)-安政五(1858年)
江戸時代後期の合巻作者。板倉氏。通称,坂本屋金七。種々の職業を転々としたのち,柳亭種彦の門に入り,長編合巻を書く。代表作『白縫譚 (しらぬいものがたり) 』 (1849,没後2世種彦,柳水亭種清が書き継ぎ,85完成)
平成29年10月4日 肆點七壱