明月記 元久二年三月
廿七日。天晴る。早旦坊門殿に参ず。夜前の儀、大略。殿御参りの後、神泉より還りおはします。御湯殿の後、御寝。数刻の後、驚かしめ給ふ。今夜、自身に於ては詠歌すべからざる由、仰せ合せらる。更に然るべからず。尤も御製あるべきの由、殿下申さしめ給ふ其の後、歌御案ずと云々。二首見合せ奉られ、一首計り申さしめ給ふ。御清書了りて出でおはします。丑の時か(○頭書に此の集の序に撰歌五人の名を載せらる。予、未だ復任せず。後代のため、其の道理なし。此の日の以前に復任すべきの由申すと雖も、或は日次なく、或は上卿なし。遂に行はれずして、今日に過し了んぬ。近代の事、只一旦の興有り。始末の沙汰に及ばず。私力及ばざる事か。官位を書かれ了んぬトアリ)。弘御所に於いて、此の事有り(例の和歌所の北)。元三の御薬の時に出でおはしますの所なり。北に御座を儲けて(二帖、東西の行)、其の南二行に帖を敷く(南北の行)。対の座を公卿の座となす。北西に御簾を掩ひ有り。殷富門院、東宮を御覧ず。殿下、前太政大臣(各々冠、直衣)、先づ座におはします。良々久しくて出でおはします。家長、御前の縁に在り。仰せ承りて、公卿を召す。左衛門、隆衡、経家(束帯)、参上して著座す。相国、仰せを伝へて家長を召し、有家を召す。有家文台の下に参上す。予め文台、切り燈台を儲く。新古今集、文台の上に在り。序を読む。通具卿、講師の後に参じて之を詠ず。春の部の初め四五首詠じ了りて、講師退出す。次で、歌人次第に歌を置く。兵衛佐具親以上、秀能、清範、家長、歌を人に付して、之を置かしむ。少将忠定、宮内少輔宋宣(宋宣、清範、夜前臨期に之に入る)、少将雅経、左衛門権佐親房、上総家隆ゝゝ、前兵衛佐家衡ゝゝ、前右馬保季ゝゝ、左中将経通ゝゝ、大蔵卿有家ゝゝ。公卿上を見る。殿下座を起たずして、置かしめ給ふ。次で家隆を召す。家隆参上して講師。有家ゝゝ仰せに依り、講師の後に参じて詠吟す。了りて、歌人退下す(両度の読師、前太政大臣)。次で伶人著座す。殿上の五位、御遊の具を置く。拍子高仲ゝゝ、枇杷右大弁、筝経通、琴隆雅、笛親兼卿、篳盛兼、笙隆衡卿。御遊了りて入りおはします。人々退出すと云々。殿下、九条に渡りおはしますと云々。午の時許りに退下す。抑々此の事、何の故に行はるる事ぞや。先例にあらず。卒爾の間、毎事調はず。歌人又歌人にあらず。其の撰不審なり。
廿七日。天晴る。早旦坊門殿に参ず。夜前の儀、大略。殿御参りの後、神泉より還りおはします。御湯殿の後、御寝。数刻の後、驚かしめ給ふ。今夜、自身に於ては詠歌すべからざる由、仰せ合せらる。更に然るべからず。尤も御製あるべきの由、殿下申さしめ給ふ其の後、歌御案ずと云々。二首見合せ奉られ、一首計り申さしめ給ふ。御清書了りて出でおはします。丑の時か(○頭書に此の集の序に撰歌五人の名を載せらる。予、未だ復任せず。後代のため、其の道理なし。此の日の以前に復任すべきの由申すと雖も、或は日次なく、或は上卿なし。遂に行はれずして、今日に過し了んぬ。近代の事、只一旦の興有り。始末の沙汰に及ばず。私力及ばざる事か。官位を書かれ了んぬトアリ)。弘御所に於いて、此の事有り(例の和歌所の北)。元三の御薬の時に出でおはしますの所なり。北に御座を儲けて(二帖、東西の行)、其の南二行に帖を敷く(南北の行)。対の座を公卿の座となす。北西に御簾を掩ひ有り。殷富門院、東宮を御覧ず。殿下、前太政大臣(各々冠、直衣)、先づ座におはします。良々久しくて出でおはします。家長、御前の縁に在り。仰せ承りて、公卿を召す。左衛門、隆衡、経家(束帯)、参上して著座す。相国、仰せを伝へて家長を召し、有家を召す。有家文台の下に参上す。予め文台、切り燈台を儲く。新古今集、文台の上に在り。序を読む。通具卿、講師の後に参じて之を詠ず。春の部の初め四五首詠じ了りて、講師退出す。次で、歌人次第に歌を置く。兵衛佐具親以上、秀能、清範、家長、歌を人に付して、之を置かしむ。少将忠定、宮内少輔宋宣(宋宣、清範、夜前臨期に之に入る)、少将雅経、左衛門権佐親房、上総家隆ゝゝ、前兵衛佐家衡ゝゝ、前右馬保季ゝゝ、左中将経通ゝゝ、大蔵卿有家ゝゝ。公卿上を見る。殿下座を起たずして、置かしめ給ふ。次で家隆を召す。家隆参上して講師。有家ゝゝ仰せに依り、講師の後に参じて詠吟す。了りて、歌人退下す(両度の読師、前太政大臣)。次で伶人著座す。殿上の五位、御遊の具を置く。拍子高仲ゝゝ、枇杷右大弁、筝経通、琴隆雅、笛親兼卿、篳盛兼、笙隆衡卿。御遊了りて入りおはします。人々退出すと云々。殿下、九条に渡りおはしますと云々。午の時許りに退下す。抑々此の事、何の故に行はるる事ぞや。先例にあらず。卒爾の間、毎事調はず。歌人又歌人にあらず。其の撰不審なり。