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和名抄云
濱名(波万奈)
三代實録云
陽成天皇元慶八年、九月朔、
遠江國濱名ノ橋長サ五十六丈、
廣サ一丈三尺、高サ一丈六尺云々
阿佛十六夜日記
はまなのはしより見わたせば
かもめといふ鳥いとおほくとび
ちがひて水のそこにもいる岩の
うへにも居たり
かもめゐる
すざきの岩も
よそならず
波の
かけこそ
袖に
見なれ
て
さらしな日記
濱名のはしくだりし時は
黒木をわたしたりし
このたびのぼりしには
くろ木だになし舟に
てぞわたる
濱名の橋は、遠江國に
あり。いにしへ濱名の湖
より落つる、下流にわた
せる橋なりしが、河伯喜
び、海若怒て、終に桑
田碧海と変ず。今の
東海道荒井の驛の
西なる、橋本邑は、
其遺蹟なり
とぞ
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経にいへらく上を安んじ
民を治むる、禮より善
なるはなし。司馬温
公の曰、天子の職は禮
より大なるは莫。禮は
分より大なるはなし、
分は名より大なるは
なし、といふ心は、名
分を明らかにする
にあり。能宣
和歌をよくし
後撰集の撰
者の一人たり。
或日式部卿
の宮の御子
の子日にまゐ
りて、よみける
歌を聞き
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華厳経疏曰
練ル心ヲ於法ニ、
名テ之ヲ為ス精ト。精心
務達ス、目テ之為ス進ト云々
義孝の少将佛の道を
信じ、月の夜法華を
諷経して世尊寺
に詣で、ねん
ごろ
に後世を祈られけり
年いと若しといへども、
かの精進勧たり
といふべ
し
江ウ月照シ松風吹ク
永夜ノ清宵ウ何所
為ス。佛性戒珠心
地印ス、露霧雲
霞體上衣
證道歌 玄覺
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奥の細道云
笠島の郡に入れば、藤
中将實方の塚は、いづく
のほどならんと、人に
とへば、是より遥右に
見ゆる、山際の里を、
みのわ、笠島と云。道
祖神の社、かたみの薄
今にありと教ゆ。此
ころの五月雨に、道いと
あしく、身つかれ侍れば
よそながら望やりて
過るに、蓑輪、笠島も、
五月雨の折にふれ
たりと
笠島はいづこ
さつきの
ぬかり道
ばせを桃青
因云
俳諧の名はじめて古今に
あらはれ、詩の排律に似て、
法を連歌にとる。又和歌
の余流なり。詞簡にして
意深く、あまねく下情
に通じて、至らざる
なし。故に抑人を
して感ぜしむ近頃偽飾を専ら
とし、
軽薄のかたちあり。
此道の澆季を慴れ
ざらんや。又偏序題
曲流をもていふ人有。
ひとへに岐路に迷ひ
かならず羊を
うしなふ事
なかれ
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