鹿は陰類なり。金風
蕭殺の気に感じて
なく。其声凄涼なり。
○人をして憂を催
さしむ。和泉式部、
保昌が妻たりし時
丹後の國にありて、
夜しきりに鹿の
鳴を聞て、夫やす
まさの狩をとゞめ、
一首の歌を感を
なさしむ。是よく
鹿の、人のこゝろを
動かせばなり。
いにしへも亦
これあり。
仁徳帝、高
津の宮にあ
って、八田部
の皇女と、毎
夜兎我野の
鹿の、鳴を聞
たまふ。其こゑ
寥亮にして
悲し。皇女と
ともに、深く是
を愛でおぼせしに、
其月の末に至
て鳴ず。その翌日
猪名の佐伯部、
苞苴を献ず。問しめ
給へば、兎我野の鹿なりと
帝深く歎き、佐伯部を
安芸に、うつし遣し給ふ
紫式部の博学高才 無名抄曰
なる、我曹大家といふ 扨も此源氏つくり
べし。幼少より学文 出たる事、思へば/\
の志ふかく、兄惟親 此世のひとつならず、
の旁にあって、其 めづらかに覚ゆれ。ま
學ぶ處の書を、 ことに佛に申こひ
こと/"\く暗記す。 たる、しるしにやと
父常に男なら こそ覚ゆれ。凡夫
ざるを怨む。長 のしわざとはおぼえぬ
ずるにした 殊なり云々
がひ
和漢の文
學はもと
より、万藝
極めざる
なし
源語の五十四帖全
寓言なれども、人
情を写し、風俗
をあらはすに至っ
て、斑馬の筆も
及ざるに似たり
熊沢安藤の鴻儒
外傳七輪を作て
賞ること甚し
其婦人の志、丈夫と異也
才あって文學に長ずる
ときは、かならず夫を軽しめ
人を侮る。小野小町清少
納言の類ひ是なり。極めて
終をよくせず、式部其才に
ほこらず、其行を慎み、若
きよりやもめにして、二夫に
見えず。賢なりと
いふべし
小式部死して
後、其年兼て賜
ふべき、絹のまうけ
ありしを、院より
使をもて、母式部
がもとへ、おくり
給ふ。其絹に小
式部といへる、
籍の有
しを見
て、一首の
歌をよみ、
母の
いたく
かなしみける
親の子の愛に
おける、いづ
れもといへ
ども、殊に世に
すぐれたる
才女の別れ、
いかばかりか
をし
からん