明月記 建仁三年
四月
十一日。天晴る。早旦、還御の由を聞く。仍て京極殿に参ず。巳の時許りに、入りおはします。近臣浄衣を着し、多く水無瀬殿供奉に参ずと云々。皇后宮大夫、予、布衣にて此の御所にあり。信雅布衣にて供奉す。自余、皆御共にあらずと雖も、浄衣、垂袴、立烏帽子、道は烏帽子、脛巾、つらぬきなり。即ち退出す。
家長、撰歌来たる廿日以前に進むべきの由、書を以て示し送る。此の廿日許り、只旧歌を見て日夜を送る。
四月
十一日。天晴る。早旦、還御の由を聞く。仍て京極殿に参ず。巳の時許りに、入りおはします。近臣浄衣を着し、多く水無瀬殿供奉に参ずと云々。皇后宮大夫、予、布衣にて此の御所にあり。信雅布衣にて供奉す。自余、皆御共にあらずと雖も、浄衣、垂袴、立烏帽子、道は烏帽子、脛巾、つらぬきなり。即ち退出す。
家長、撰歌来たる廿日以前に進むべきの由、書を以て示し送る。此の廿日許り、只旧歌を見て日夜を送る。