尾張廼家苞 三
本歌、さむしろに衣かたしき今宵もや我を待つらんうぢの橋姫。又、嬉さを 何につゝまん唐衣たもとゆたかにたてといはましを。例の詞ばかりをとれる也。 一首の意は、此君のおはしたるを待えて、うちの橋姫も嬉しさを 袖につゝまんと也。此歌祝の意なし。雑部に入べきにや。 百首哥よみ侍しに 後徳大寺左大臣
やをよろず濱の真砂を君が代の数にとらなん沖津嶋守
濱の真砂は限なき数なり。八百日ゆく濱ならんには、 ます/\限なきかず也。八百日行濱、萬葉集にみえたる詞也。
家の歌合に春祝 摂政太政大臣
春日山みやこのみなみしかぞおもふ北の藤なみはるにあへとは 此御歌、喜撰が哥をとりてしかぞおもふといひ、北にむかへて 南といへる、たくみなれど、都の南といふ事も何の用なく、 宇治は都の辰巳なる故、用はなけれどもたつみとよめり。これも そのごとく春日山はみやこの南なれば、別に用なけれども南と
よませ給へり。もし難ならば喜撰の しかぞおもふといふ事も、たゞ 難なり。此殿にはあらず。 おもふにてこそ有べけれ。しかぞといいふ事あまりて きこゆ。(かくいはるゝは、凡夫の歌のごとく、北の藤なみ春にあへと思ふ と結句より三ノ句へかへしとみるべく思はれたるなるべし。此比の哥 は變幻百出、にて一途をまもりてはいひがたし。此歌は二一句、三句四五とつゞき たり。一首の意は、都の南におはします春日の神、此神にいのりて、我はかう /\なんおもふ、北家の藤氏時にあひて世に栄へよといふ事也。其うへむすび かくのごとく心うれば、しかぞといふ事あまりても聞えず。 ) のとはも、はもじ何の心ぞや。(あかぬ別の鳥はものかはといふ、哥 は、あかぬ別の鳥は物の数かといふ 事にて、はもじさせる意なし。此はもじを 何の意ぞやとあらば、同罪多かるべし。)
仁安元年大嘗會悠紀稲舂歌 俊成卿
あふみのや坂田の稲をかけつみて道ある御代のためしにぞつく (かやうの歌はよみにくき物にや あらん。此卿の哥のやうにもなし。) 仁安元年大嘗會主基方稲舂歌丹波國長 田村 権中納言兼光 神代よりけふの為とや八束穂に長田の稲のしなひそめ剱 (本文、日本紀に、保食の神の御身よりなり出し稲種をとりて、天狭田及び長田 に植しかば、その秋八束穂にしなひて、甚快かりし事みえたり。長田村を 神代の長田にしてよみ給へ る。おもしろき趣意なり。) 天暦元年大嘗会主基歌青葉山 立よれば涼しかりけり水鳥の青葉の山の松の夕かぜ (すがたよろし き哥なり。)
建久九年大嘗會主基屏風に六月松井 権中納言資實 ときはなる雲井の水のむすぶ手の雫ごとにぞ千代は見えける 本歌、むすぶ手の雫にゝごる山のゐのあかでも人にわかれ ぬる哉。水をむすぶといふには、月次の六月の意をもたせたる也。)
本歌、さむしろに衣かたしき今宵もや我を待つらんうぢの橋姫。又、嬉さを 何につゝまん唐衣たもとゆたかにたてといはましを。例の詞ばかりをとれる也。 一首の意は、此君のおはしたるを待えて、うちの橋姫も嬉しさを 袖につゝまんと也。此歌祝の意なし。雑部に入べきにや。 百首哥よみ侍しに 後徳大寺左大臣
やをよろず濱の真砂を君が代の数にとらなん沖津嶋守
濱の真砂は限なき数なり。八百日ゆく濱ならんには、 ます/\限なきかず也。八百日行濱、萬葉集にみえたる詞也。
家の歌合に春祝 摂政太政大臣
春日山みやこのみなみしかぞおもふ北の藤なみはるにあへとは 此御歌、喜撰が哥をとりてしかぞおもふといひ、北にむかへて 南といへる、たくみなれど、都の南といふ事も何の用なく、 宇治は都の辰巳なる故、用はなけれどもたつみとよめり。これも そのごとく春日山はみやこの南なれば、別に用なけれども南と
よませ給へり。もし難ならば喜撰の しかぞおもふといふ事も、たゞ 難なり。此殿にはあらず。 おもふにてこそ有べけれ。しかぞといいふ事あまりて きこゆ。(かくいはるゝは、凡夫の歌のごとく、北の藤なみ春にあへと思ふ と結句より三ノ句へかへしとみるべく思はれたるなるべし。此比の哥 は變幻百出、にて一途をまもりてはいひがたし。此歌は二一句、三句四五とつゞき たり。一首の意は、都の南におはします春日の神、此神にいのりて、我はかう /\なんおもふ、北家の藤氏時にあひて世に栄へよといふ事也。其うへむすび かくのごとく心うれば、しかぞといふ事あまりても聞えず。 ) のとはも、はもじ何の心ぞや。(あかぬ別の鳥はものかはといふ、哥 は、あかぬ別の鳥は物の数かといふ 事にて、はもじさせる意なし。此はもじを 何の意ぞやとあらば、同罪多かるべし。)
仁安元年大嘗會悠紀稲舂歌 俊成卿
あふみのや坂田の稲をかけつみて道ある御代のためしにぞつく (かやうの歌はよみにくき物にや あらん。此卿の哥のやうにもなし。) 仁安元年大嘗會主基方稲舂歌丹波國長 田村 権中納言兼光 神代よりけふの為とや八束穂に長田の稲のしなひそめ剱 (本文、日本紀に、保食の神の御身よりなり出し稲種をとりて、天狭田及び長田 に植しかば、その秋八束穂にしなひて、甚快かりし事みえたり。長田村を 神代の長田にしてよみ給へ る。おもしろき趣意なり。) 天暦元年大嘗会主基歌青葉山 立よれば涼しかりけり水鳥の青葉の山の松の夕かぜ (すがたよろし き哥なり。)
建久九年大嘗會主基屏風に六月松井 権中納言資實 ときはなる雲井の水のむすぶ手の雫ごとにぞ千代は見えける 本歌、むすぶ手の雫にゝごる山のゐのあかでも人にわかれ ぬる哉。水をむすぶといふには、月次の六月の意をもたせたる也。)