藤原清輔朝臣
左京大夫顕輔子。母能登守能遠女。太皇大后宮大進。正
四位下長門守。奥儀抄、和哥初学抄、袋草子等述作の物也。
續詞花集、此人の撰集也。奏覧に及ばずして先朝崩御
のよし奥書にみえたり。鵜本云つら/\おもふに学ぶ
べき人の哥の様は清輔亡父卿などにて侍るべし。其姿
むかし今に通じてよろしき体也。幽玄の様にてしかも有
心体を存せり。これに讀似せんとあひかまへてたしなみ
学ふべし。それぞよもあしからじとおぼへ侍る云云。無明抄
云勝命云、清輔朝臣哥の弘才は肩ならぶ人なし。いまだ
よみも及ばじと覚ゆる事を、態かまへて求め出て尋れ
ば、皆々もとより沙汰しふるされたる事どもにて
なん侍し。はれの哥よまんとては大事はいかにも古集
を見てこそと云て万葉集を返す/"\見られ侍し云云
ながらへばまた此ころやしのばれんうしとみし世ぞ今は恋しき
新古今雑下、題しらず云云。哥心は御抄云、次第/\に
※態 わざと
※無明抄云…見られ侍りし 無名抄 清輔宏才事
むかしをおもふほどに、今のうきとおもふ時代をも
是より後に忍ばんずるかとの心也。万人の心に観ぜん哥ぞと也。哥
には理をつめずして心にもたせていへる常の事也。かやうに理を
せめて面白きも一体なるべし。いひつめたる歌なれども餘情ある也。