讀はじめ ⇧木曽義仲は
こゝに信濃 六動寺の國府よ
國安 ◑帯刀 り打て上り 般
曇郡 先生義 若野の御河
木曽と 賢の 端に着し
いふ山里 △ 此所にて
に木曾 軍議
冠者 △次男 あり源
義仲 なり。去る久 氏は早
といふ人あり。 壽二年二月 く礪
故六條判官 左馬頭顕義 並郡
為義の孫 朝が嫡男 倶利
にして◑ 惡 〼成長 伽
源太義 すといへ 羅
平相模國大倉の ども 八幡殿 山
口にて義賢を討る。 後胤なり。平家を の
木曽は此時二才。名を駒王 滅して世に立べしとの● 麓
丸と云。 さる程に高 にて中國の兵を駈従へ既 に
倉の 宮令旨を に一千餘騎に及びたう時に壽
義仲に 賜ひ 永二年四月十七日木曽追討の つ
ければ 義仲 為め官兵北國に発向なりし。それ ぎ
大に 悦び我 よう東国に攻入て頼朝を誅すべ へ
しとて大将軍には三位中将維盛越前
木曽 三位通盛等總勢十萬餘騎を率ゐて北陸
の山中 道にかゝり荒乳の山中にかゝり天熊の國
に〼 境を越て敦賀津に着したり⇧
◑→◑、△→△、 ⇧→⇧の順に読む。
●は読めなくなった字。