尾張廼家苞 四之上
片思 入道前関白太政大臣
わればかりつらさをしのぶ人やあると今世にあらばおもひあはせよ
一首の意は,をれほど人のつれないにこらへるものがあるかないか.今わが恋しにて後,人に
こひられん時に、おもひあはせよと也。四句今我こひ死たる跡に、君が世にあらば也。
摂政家百首歌合ニ契戀 慈圓大僧正
たゞたのめたとへば人のいつはりをかさねてこそは又もうらみめ
たゞたのめば、とや書くと人を疑はず。たゞひたすらに我云
ことをたのめと契る人に云なり。たとへばといふは、いまだ
其事のなき時に、もししか/"\の事あらんこといふ時
につかふ言也。此つかひざま、此ころの物にはたゞの文にも
をり/\みえたり。此歌にては、いまだ偽をも重ねはせざるに、
もし此後いつはりの重なる事あらば、其時にこそといふ
意なり。人はこゝにては我をいふ。かなたのうへよりいへば我は
人なり。結句又とは、上のかさねてといふにかけ合たり。
然れば此哥は人の恨むるにつきていへる意にて、今
までの◯はともかくま◯れ。今より後は、たゞ我をたのみ
給へ。此うへ我偽のかさなりたらんにこそ、又もうらみ給はめと
いへるなり。たとへばゝ、俗語にも常いふ。假令(タトヘバ)とかきて、漢文よみにはつね
の事也。尾張あたりの俗語には、字音に假令(ケリヤウ)ともいふなり。
人は誰となく人也。たとへに事を設ていふなれば、さす人はなしみのゝ家づとの説も
たがはねど迂也。一首の意は,よくいさゝかの事にもうらみ給ふが,それをやめて,ひたすらた
のみ給へ。我に偽はなき也。假令人が偽ごとを重ねし事ある時あらば、又も
恨み給へと也。又とは今恨むるに對して、後に恨むる時あるを又といふなり。
題しらず 小侍従
つらきをもうらみぬ我にならふなようき身をしらぬ人もこそあれ
我こそわがうき身のとがに思ひなして、君がつらきをも
うらみね。そのうらみざるにならひて、よき事とおもひて、人に
つらくあたり給ふなよ。人は我ごとくにておもひなだめぬ事
もあらんにと也。かくの
如し。うき身をしらぬは、我はうき身なれば
人のつらきがこと
はり也といふ事を也。といふ事をわきまへぬをいふ。かくいふが、みづから
うらみなり。
殷富門院大輔
何かいとふよはながらへじさのみやはうきにたへたる命なるべき
人のつれなきまゝに、死ばやとおもふにつき、又おもひかへし
て、さやうに何かは我身をいとはむ。みづからおもふ事ならば、初句
何かいとはんといふべきなり。か
ばかり人のうきには、堪て長くはえあるまじき我命な
ればいとはずとてもよもながらへばせじ物をと也。初句の説はあたらず。
二ノ句以下は事もなし。或
抄に、初句を何かは我をいとひ給ふとつれなき人にいふ詞也。
此説の
ごとし と註せるはたがへり。さては命といへる事つたなし。命といは
でハ死る事
とたしかにきこえさる故、かくいへる也。
命といひたらんに、何がつたなき。 我身などこそあるべけれ。さては死る事
ときこえず。
命といひては、我命を人のいとふ心になるをや。さはあらず。一首の意は、何
故その樣に我をいとはるゝ
ぞ.さのみいとひ給はずとも,よもながらへてはおるまじ.しばしの程こそつらいのをこら
へてもみだれそう/\は命がえこらへまいからと也。恋死にしなんと意。
西行
あはれとて人のこゝろの情あれな数ならぬにはよらぬなげきを
一首の意,戀をするには身のほどの有て,我身の数ならねば,高き人はおもはぬ物ならばよ
けれどそれにハよらで,物おもひをしてなげくを,アヽハヤこの人もそれほどにおもふかとて,情
をかけて
くれよと也。
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