百人一首切臨抄
田子の浦に打出てみれは白妙の富士のたかねに雪は降りつゝ
一 紹巴抄曰、万葉第三ニ山ノ部ノ宿袮望不尽山哥一首并短歌
天地の 分かれ時に かみさひて 髙尊 駿河なる 富士のたかねを あまの原 振放見れば 渡日の 影もかくろひ てる月の 光も見へす 白雲も い去はゞかり 時しくぞ 雪はふり家留 語告 言継ゆかん 富士のたかねは
反哥
万葉両点
マシロニゾ
短哥 田子の浦に打出てみれば真白衣富士の高嶺に雪は降つゝ
シロタヘニ
一 三光院云、玉篇に切反といふも二字を一字につゞむる心なり。爰も長哥を短哥つゞむるを反哥と云。万葉の詞を直して新古今ニは入たり。宗祇云万葉ノ三ニは望ム富士山ヲといふ題也。又長哥の反哥也。反哥とは長哥を三十一字につゝめたるををいふ也。
私云。右長哥短哥の事。或書ニ曰、五七五七と長く云つゝけたるを短哥といふ。三十一文字に詠たるを長哥といふこと其断書ニ短哥は長く云つゝけるといへとも一句/\に詞きれて心見しかきゆへ短哥とし長哥は三十一文字につらねてその心はかきりもなく長きゆへに名づくるとぞ。此説さもあるへき事ならんか。然共右三光院宗祇なとの説不可捨もの也。なをかさねて知る人に尋ぬへし。庸山。
一 田子の浦に打出てみれはといふに万景こもる。下ノ句つゝと云詞に富士の万景こもる也。仮は大木の千枝万葉をもぎすてゝ真ン木はかりなるを見て枝葉花実を見るより広太にして奇也といふか如し。又大人君子摂政関白の立たる姿のことし。是を似せて初心なる者よまば田夫や愚鈍なる人の立たる如くなるへし。
一 富士山
万葉三赤人の長哥によらは神代の山也。縁記説は異説也。昔より此山を柴山といふ證は万葉十巻の哥に。
あまの原富士の柴山此くれの時ゆつりなはあはずかもあらむ
又赤人の哥に
富士のねにふりつむ雪は六月の望にけぬれは其夜降りけり
一 玄旨云。何もかもとり入て扨ひしくれを取のけてよみた哥也。是を似せてよまんとすればおぼろげなに也。つゝの字に面白景気籠リ至極妙なる哥也。
一 師ノ説云。正風躰也。詠習時姿も心も入ほがにすれは後迄邪路に入也。たとへは木を切に初めのゆがめるかたへたをるゝが如し。又木のはじめすぐに生たる後まで直なるか如し。
一 祇註。田子の浦の類なきを立出て眺望限りなく心詞も及はぬに又富士の高嶺の雪を見たる心を思ひ入て吟味すへし。海辺の面白き事をも高嶺の雪の妙なるをも詞に出す事なく其さまかはりを云のへたる事奇異也。古今の序に赤人の哥はあやしく妙也といへり。つゝの字余情限なし。当意即妙也。
一 師云、田籠の浦より舟に乗る時は小山にかくれて見へす。うち出て見ゆる也。つゝとはてにはにあらず。程ふると云所にをく字也。もとよりの雪に今も降そふ心なり。
切臨 天正十九年(1591年)〜寛文・延宝頃(1661〜67年)の時宗の僧。二条派の三条西公条、実枝親子に師事した乗阿の門下。