源氏十七才の十月より明年の十月まて有
朱雀院のきやうがうは神無月の十日あまりな
り。よのつねならず、おもしろかるべきたひのことなり
御門
ければ、御かた/\物見給はぬことをくちおしがり給。う
へもふぢつぼの、みたまはざらんをあかずおぼさる
しがく
れば、試楽を御ぜんにてをさせ給ふ。げんじの
中将はせいがいはをぞまひ給ける。かたてには大とのゝ
とうの中将がたちようい、人にことなるを、立ならびて
は花のかたはらのみやま木゛なり。入がたの日かげ
さやかにさしたるに、がくのこゑまさり、ものゝおもしろき
ほどに、おなじまひのあしぶみおもゝち、よにみえぬさ
まなり。ゑいなどし給へるはこれや仏の御かれうびん
かのこゑならんときこゆ。おもしろくあはれなるに、みか
どなみだおとし給。かんだちめみこたち◯、みななき
給ぬ。ゑいはてゝ袖うちなをし給へるに、まちとりたる
源
がくのにぎはゝしきに、かほのいろあひまさりて、つ
弘徽殿心
ねよりもひかるとみえ給。とうぐうの女御、かくめでた
きにつけても、たゞならずおぼして、神などそらに
めてつべきかたちかな。うたてゆゝしとの給ふを、わか
き女ばうなどは心うしとみゝとゞめけり。ふぢつぼ
は、おほけなき心なからましかば、ましてめでたくみ
えましとおぼすに、ゆめの心ちなんし給ひける。
藤つほ 御門詞
宮はやがて御とのゐなりけり。けふのしがくはせいがいは
にことみなつきぬな。いかゞ見給ひつるときこえた
藤つほ
まへば、あいなう御いらへきこえにくゝて、ことに侍つ
御門曰
とばかりきこえ給。かたてもげしうはあらずこそ
みえつれ。まひのさまてづかひなん。いゑのこはこ
となる。このよになをえたるまひのおのこども
も、げにいとかしこけれど、こゝしうなまめいた
るすぢをえなんみせぬ。心みの日かくつくし
つれは、もみぢのかげやさう/"\しくと思へど、み
せたてまつらんの心にて、よういをさせつるな
源
どきこえ給。つとめて中将の君、いかに御らんじ
けん。よにしらぬみたりこゝちながらこそ
朱雀院の行幸は、神無月の十日余りなり。世の常ならず、面白かるべきた
びの事なりければ、御方々、物見給はぬことを、口惜しがり給ふ。主上
(うへ)も藤壺の、見給はざらんを、飽かずおぼさるれば、試楽を御前に
てをさせ給ふ。源氏の中将は、青海波をぞ舞まひ給ひける。片手には、大
殿の頭の中将、がたち、用意、人に殊なるを、立ち並びては、花のかたは
らの深山木なり。入方の日影、さやかに射したるに、楽の声勝り、物の面
白き程に、同じ舞ひの足踏み、面持ち、世に見えぬ樣なり。詠などし給へ
るは、「これや仏の御迦陵頻伽の声ならん」と聞こゆ。面白く哀れなるに、
帝涙落とし給ふ。上達部、親王達◯、皆泣き給非ぬ。詠果てて、袖打直し
給へるに、待ちとりたる楽の賑ははしきに、顔の色あひまさりて、常より
も光ると見え給ふ。春宮の女御、かく目出たきにつけても、ただならずお
ぼして、「神など、空にめてつべきかたちかな。うたてゆゆし」と宣ふを、
若き女房などは、心憂しと耳留けり。藤壺は、おほけなき心なからましか
ば、まして目出度く見えましとおぼすに、夢の心地なんし給ひける。
宮は、やがて御宿直なりけり。「今日の試楽は青海波に事皆尽きぬな。如
何見給ひつる」と聞こえ給へば、あいなう、御いらへ聞こえ難くて、「殊
に侍りつ」とばかり聞こえ給ふ。「片手も、げしうはあらずこそ見えつれ。
舞の樣、手使ひなん。家の子は、殊なる。この世に名を得たる舞の男共も、
げにいとかしこけれど、ここしうなまめいたる筋を、得なん見せぬ。試み
の日、かく尽くしつれは、紅葉の影や騒々しくと思へど、見せ奉らんの心
にて、用意をさせつる」など聞こえ給ふ。
つとめて、中将の君、如何に御覧じけん。世に知らぬ乱り心地ながらこそ。