京都堀川通 風俗博物館
小納言詞
ことしだにすこしおとなびさせたまへ。とをにあま
りぬる人は、ひゐなあそびはいみはべるものをかく
御おとこなどまうけたてまつり給ては、あるべか
しうしめやかにてこそみえ奉らせ給はめ。御ぐ
しまいるほどをだに、ものうくせさせ給など、少な
み
ごんきこゆ。御あそびにのみ心いれ給へれば、はづかし
紫
と思はせ奉らんとていへば、心のうちに、われはさは
おとこまうけてげり。此人々゛のおとことてあるは、
みにくゝこそあれ。われはかくおかしげにわかき人をも
地
もたりけるかなと、いまぞおぼししりける。さはいへど、
御としのかずそふしるしなめりかし。かくおさなき御
源ノ内ノ人々也
けはひの、ことにしるければ、とのゝうちの人々゛
も、あやしと思ひけれど、いとかうよづかぬ御そひ
源内裏 左大臣
ぶしなみんとは思はざりけり。内より大とのに
まかで給へり。れいのうるはしうよそほしき御さ
み
まにて、心うつくしき御けしきもなくくるしけ
源詞
れば、ことしよりだにすこしよづきて、あらため給
御心みえば、いかにうれしからんなどきこえ給へと、わ
葵心地也
ざと人すへてかしづき給ときゝ給しよりは、やむ
ごとなくおぼしさだめたることにこそはと、心のみ
をかれて、いとゞうとくはづかしくおぼさるべし
源のてい
しゐてみしらぬやうにもてなして、みだれたる御け
はひには、えしも心づよからず。御いらへなとうちきこ
葵二十二源十八
え給へるは、なを人よりはいとことなり。よとせばかり
か、このかみにおはすれば、うちすぐしはづかしげに、さ
源心
かりにとゝのほりてみえ給。なにごとかはこの人の
あかぬところは物し給ふ。わが心のあまりけしからぬ
すさひに、かくうらみられ奉るぞかしとおぼし
地
らる。おなじ大゛じんときこゆるにも、おぼえや
葵
むごとなくおはするが、みやばらにひとりいつき
かしづき給。御心をごりいとこよなくて、すこしも
源
をろかなるをば、めざましと思ひきこえ給へるを、お
み
とこ君゛は、などか、いとさしもとならはい給ふ。御心の
「今年だに少し大人びさせ給へ。十に余りぬる人は、雛(ひゐな)遊びは
忌み侍る物を、かく御男など設け奉り給ひては、あるべかしう、しめやか
にてこそ、見え奉らせ給はめ。御髪参るほどをだに、もの憂くせさせ給ふ」
など、少納言聞こゆ。御遊びにのみ、心入れ給へれば、恥づかしと思はせ
奉らんとて言へば、心の内に、我は、さは、男設けてげり。この人々の男
とてあるは、醜くこそあれ。我は、かく可笑しげに、若き人をも持たりけ
るかなと、今ぞおぼし知りける。さは言へど、御年の数添ふしるしなめり
かし。かく幼き御気配の、ことにしるければ、殿の内の人々も、あやしと
思ひけれど、いとかう世づかぬ御添臥(そひぶし)ならんとは、思はざり
けり。
内より大殿にまかで給へり。例のうるはしうよそほしき御樣にて、心美し
き御気色もなく、苦しければ、「今年よりだに、少し世づきて、改め給ふ
御心見えば、いかに嬉しからん」など、聞こえ給へど、わざと人すへてか
しづき給と聞き給ひしよりは、止む事無くおぼし定めたる事にこそはと、
心のみ置かれて、いとど疎く、恥づかしくおぼさるべし。しゐて見知らぬ
やうにもてなして、乱れたる御気配には、えしも心強からず。御いらへな
ど打聞こえ給へるは、なを人よりはいと異なり。四年ばかりが、このかみ
におはすれば、打過ぐし、恥づかしげに、盛りに、調ほりて見え給ふ。何
事かは、この人の飽かぬところは物し給ふ。我が心のあまりけしからぬ遊
(すさ)びに、かく恨みられ奉るぞかしと、おぼ知らる。同じ大臣と聞こ
ゆるにも、おぼえ止む事無くおはするが、宮腹に一人いつきかしづき給ふ。
御心驕り、いとこよなくて、少しも愚かなるをば、めざましと思ひ聞こえ
給へるを、男君は、などか、いとさしもと、ならはい給ふ。御心の