兵衛佐さだふむがいへのう
たあはせに
はるたつといふばかりにやみよしのゝ
やまもかすみてけさはみゆらん
いのちもてはるかひとむるよなりせば
われはふたゝびかぎらざらまし
たゞみねおほせありてたてまつる
拾遺集春歌上 巻頭歌
平のさたふんか家歌合によみ侍りける
春立つといふばかりにやみ吉野の山も霞みて今朝は見ゆらん
備考:前十五番歌合、公任三十六人撰、俊成三十六人歌合、定家八代集秀逸、後鳥羽院時代不同歌合
壬生忠岑
貞観二年(860年)頃ー延喜二十年(920年)頃
平安前期から中期の歌人。三十六歌仙。忠見の父。身分の低い下級武官であったが、歌人としては一流と賞されており、『古今和歌集』の撰者として抜擢された。官人として確実なのは『古今和歌集』「仮名序」をはじめ、諸史料にみえる右衛門府生への任官だけである。