葵祭 斎王代路頭の儀
御息所心
こゝろやましきをばさる物にて、かゝるやつれをそ
れとしられぬるが、いみじうねたきことかぎりなし。
しぢなどもみなをしおられて、すゞろなるくる
まのどうにうちかけたれば、又なう人わろくくや
しう、なにゝきつらんと思ふにかひなし。ものも見
でかへらんとし給へど、とをりいでんひまもなきに、
源也
ことなりぬといへば、さすがにつらき人の御まへわた
りのまたるゝも心よはしや。√さゝのくまにだにあ
御息所
らねばにや。つれなくすぎ給ふにつけても、中々御
心づくしなり。げにつねよりもこのみとゝのへたる
くるまともの、われも/\とのりこぼれたるしたすだ
れのすきまどもゝ、さらぬがほなれど、ほゝゑみつ
葵也
つ、しりめにとゝめ給もあり。大とのはしるければ、まめ
だちてわたり給。御ともの人々゛うちかしこまり、心
ばへありつゝわたるを、をしけたれたるありさまこ
よなうおぼさる
御息所
かげをのみみたらし川゛のつれなきに身のう
きほどぞいとゞしらるゝ。となみだのこぼるゝを、
人のみるもはしたなけれど、めもあやなる御さま
かたちの、いとゞしういでばへをみさらましかばと
地
おぼさる。ほど/\につけて、さうぞく、人のありさま、い
みじとゝのへたりとみゆるなかにも、かんだちめは
いとことなるを、ひとゝころの御ひかりにはをしけ
たれためり。大将のかりのずいじんに、てん上のぞう
などの、することはつねのことにもあらず。めづらしき
ぎやうがうなどのおりのわざなるを、けふはうこんの
み
くらふどのぞうつかうまつれり。さらぬ御ずいじんど
もゝ、かたちすがたまばゆくとゝのへて、世にもてかしづ
き
かれ給へるさま、木くさもなびかぬはあるまじげなり。
つぼさうぞくなどいふすがたにて女ばうのいやし
からぬや。又あまなどの世をそむきけるなども、た
ふれまろびつゝ、物見に出たるも、れいはあながちな
りや。あなにくとみゆるに、けふはことはりに、くちう
心疾しきをばさる物にて、係るやつれをそれと知られぬるが、いみじうね
たき事限り無し。榻(しぢ)なども皆押し折られて、すずろなる車の筒に
打ち懸けたれば、又なう人悪く、悔しう、何に来つらんと思ふに甲斐無し。
物も見で帰らんとし給へど、通り出でん隙も無きに、「事なりぬ」と言へ
ば、流石に、つらき人の御前渡りの待たるるも、心弱しや。√笹の隈にだ
にあらねばにや。つれなく過ぎ給ふにつけても、中々御心尽しなり。
げに常よりも好み調へたる車共の、我もわれもと、乗りこぼれたる下簾
の隙間共も、「さらぬ顔なれど、微笑みつつ、後目に留め給ふもあり。大
殿は知るければ、まめだちて渡り給ふ。御供の人々打ち畏まり、心映へあ
りつつ渡るを、押し消たれたる有樣、こよなうおぼさる
影をのみみたらし川のつれなきに身の憂きほどぞいとど知らるる
と涙の溢るるを、人の見るもはしたなけれど、目もあやなる御樣、容貌の、
いとどしう、出映えを見ざらましかばとおぼさる。
ほどほどにつけて、装束、人の有樣、いみじう調へたりと見ゆる中にも、上
達部はいと異なるを、一所の御光にはをし消たれためり。大将の仮の随身
に、殿上の将監(ぞう)などの、することは常の事にもあらず。珍しき行
幸などの折のわざなるを、今日は右近の蔵人の将監つかうまつれり。さら
ぬ御随身共も、容貌、姿まばゆく調へて、世にもて、かしづかれ給へる樣、
木草も靡かぬはあるまじげなり。壺装束などいふ姿にて、女房の賤しから
ぬや。又、尼などの世を背きけるなども、倒れ転びつつ、物見に出たるも、
例は、あながちなりや。あなにくと見ゆるに、今日はことはりに、口う
引歌
√笹の隈 古今和歌集巻第二十 神遊びの歌
日霊の歌
ささの隈檜の隈河に駒止めてしばし水かへ影をだにみん
和歌
御息所
影をのみみたらし川のつれなきに身のうきほどぞいとど知らるる
意味:御禊の行列見物で源氏の君のお姿だけは見ることができたが、そのつれない素振りに、自身の身の憂き事を知ってしまった。
備考:御手洗川と見たらしの掛詞。御手洗川は上賀茂と下鴨の神社内を各々流れる川で、斎院はそこで禊を行う。