自讃歌
私撰集。成立、編者とも未詳。鎌倉時代末期成立か。後鳥羽院が、定家など当時の代表的歌人十六人に、自作の中でよいとみずから認めている歌を各々十首ずつ奉らせ、院自身の歌を合わせて編んだとの序文のある、計百七十首から成る歌集。その大部分は「新古今集」の歌。成立事情は信じられず、明らかに偽書であるが、宗祇らの注釈もある。
藤原俊成、 俊成卿女、
宮内卿、 藤原定家、
藤原有家、 藤原家隆、
藤原雅経、 源具親、
寂蓮法師、 藤原秀能、
西行法師
下の句豆かるた
手書
4.3cm×3.3cm
序 あめのしたのどかにて浪のこゑしづかなりし御代は、いまはももとせあまりにやなりぬらん。よろづのことのをすて給はず、はかなきふしまでもきこしめしけるなかにも、やまと歌は、かのなしつぼの心ざしをこひ、かきのもとのすがたをおぼしめしける御めぐみのすゑにや。世にさぶらふ人人は、かしこきもいやしきも、ふじのたかねのいきほひをまなびて、わたつ海のふかき心をのみしたひければ、このみちなかごろよりも猶いにしへざまにおよぶことに侍りけり。 しかあるに人の心のせきしなければにや。おのおのみづからの歌とのみおもひて、そのさましらぬもおほかりけるを、かしこきおろかなるをしらしめ後の世にもうらみあらじとて、みづからよめる歌のなかにもよろしきを十首たてまつらしめ給ひて、心心を見給ひけるに、まことに山人のたき木をおへるさまをのがれたれども、ゑにかけるすがたのまのめならず露をあざむく心のみおほかりけるに、御みづからのおほん歌をもこのついでに見せしらしめ給ひけるぞ、御めぐみの深さもすゑの世のまもりとまで見えける。 そのなかに、さくらさく遠山どりのながめよりはじめて、都も今は夜ざむのことばにうつりきて、神路の山の月影までも人のさきにかなはしめ、神の心もなごむらんものをとうちながむるをりをりは袖の上かわくまぞなき、その外のわたくしざまには神代の月かげのいさぎよく、北の藤なみ春にあふ色いとめづらかなるに、をとこ山あふぐ嶺よりいづる月、袖に朽ちにし秋の霜、いdれもさまことになさけあるを、むかしおもふ草のいほり、しのの葉ぐさの露かかる姿、いひしらずたぐひおよびがたきに、朝日影にほへる花もなつかしく、岩がねの床にあらしをかたしくらんもげにしのびがたき心ちするに、さののわたりの雪のうち、日も夕ぐれのみねのあらしは、世にまぎれぬあはれさも道しる御代のかひありて、いかにあはれもふかかりけん。さても猶夕時雨ぬれてや鹿のながめのすゑもをかしきに、月のかつらに木枯のかぜいかならむとゆかしのみならず、たかまのさくらのにほひ、まきの葉に霧たちのぼる夕の色もあはれなるに、しほみちくらしなには江のおもかげまでもおもひのこさぬ心ちするを、ふじのけぶりの空にきえてなどきくをりは、まことに手にしたがへるさまなりけり。この外はいづれも時の花に心をうつしてふかき事とのみおもへれども、さざれ石のとにかくにさだめなき事のみおほかりける。 その中によろしきふしあるをとりいでさせ給ひて時代不同の歌合にぞ入れさせ給ひける。 令和3年8月29日 弐 165枚