
夫木 二月や けふ 初午の しるし とて いなりの 杦は もとつ 葉も なし 光俊
夫木和歌集、新撰和歌六帖、歌枕名寄 光俊 きさらぎやけふ初午のしるしとて稲荷の杉はもとつ葉もなし

三 之 峰 稲 荷 社
後拾遺 いなり山 三の玉がき うちたゝき 我ねぎ ごとを 神も こたへよ 惠慶法師
後拾遺集 恵慶法師 稲荷山みつの玉垣うちたたき我ねきごとを神もこたへよ


三の峯の御注連張は毎歳正月五日なり。(古山の半腹に瀧あり。今は水涸て 小水流れ麓に至つて祓川といふ) 拾遺 瀧の水かへりてすまば稲荷山七日のぼりししるしと思はん 讀人しらず 稲荷行幸の時 夫木 いなり山杦まの紅葉きてみればたゞあを地なる錦なりけり 周防内侍 例祭は四月上の卯の日也。神輿五基九条の御旅所より東寺南の大門 を搔入て金堂の前に神輿すへ産子は神供を頭に戴て運び持て 献じ僧侶はかはる/"\出て法施し東寺寺務の僧正をはじめ一山の 衆僧は東西に烈し弦召は東のかたに警す。其厳重たる粧ひ他に ならぶ事なし。是を東寺の神供といふ。近年安永三(甲午)年より祭 例の式再興ありて行烈の首には勅裁綸旨、弓、楯の神具かず/"\烈り 神輿の前後には社司のめん/\騎馬にて供奉し唐鞍の神馬三疋其 外、大幣、榊、翳、菅蓋、錦蓋等雲のごとくつらなり巍々滔々として 壮麗たる祭式なり。
※「瀧の水~」の歌は、拾遺集では、「なぬかのぼれる」とあり、歌枕名寄では、「なぬかのほりし」となっている。
伏見稲荷 ある年旧正月(春節)風景









