おゝはら大原しやうりんゐん 勝林院らいがうゐん 來迎院ゆつうじ 融通寺をと たき 音なしの瀧りよりつがは 呂律川
新古今 世をそむく かたはいづこも 有ぬべし 大原山は 住よかり きや 和泉式部 同返事 思ふ事大原 山の すみ がまは いとゞなげきの 数をこそ つめ 少将井尼
大原は八瀬の北一里にあり。若狭街道にして東西に八つの郷あり。(端戸寺村 上野村 大長瀬村来迎院村勝林院村 井出村 野村 草生村 ) 新古 日数ふる雪げにまさる炭竃の煙もさびし大原の里 式子内親王 新勅 大原はひらの髙ねの近ければ雪ふる程を思ひこそやれ 西行 惟喬親王の遺跡は上野村にあり。(是御墓にして五輪の石塔あり。閑居の地は 御所田といふ。今田の字となれり) 西方院(上野村にあり。開基は 摂取院(大長瀬村にあり。本尊は阿弥陀佛 寂忍法師 ) 聖徳太子の作也。開基は浄住法師) 融通寺は来迎院村のひがしにあり。本尊は阿弥陀佛の坐像にして 湛慶の作なり。開基良忍上人の像あり(當寺は融通念仏の開祖也。天治二年 の頃洛陽に出て是を弘め給へり。融通 といふは自称の念佛他の功徳と成り。他は随喜して是を修するに其功徳又自に帰す。 是自他不二平等融通す。不可思議廣大の善功なりとぞ) 魚山来迎院は融通寺の東に隣る。本尊は三尊にして中央は薬師佛(左釈迦 右阿弥陀) 開基は良忍上人也。此地は叡嶺西塔の北谷にして昔は坊舎一百余宇有 しなり。魚山と號するは漢土の天台山の西に大原魚山といふ。此所も天 台山の支山なれば此例によつてなづくるとかや。 音無瀧は来迎院の東四町にあり。飛泉二丈余にして翠岩に傍ふ て南へ落る。蒼樹蓊鬱として陰涼こゝろに徹し毛骨悚然とし て近きがたし。 夫木 小野山のうへより落る瀧の名の音なしにのみぬるゝ袖かな 西行 小野山は音なしの瀧の山をいふ。むかしは此所にて炭を焼きし也。和歌に詠ず。 拾遺 み山木を朝な夕なにこりつめて寒さをこふるをのゝ炭焼 好忠 続拾 夕されば霧立空に鳫鳴て秋風寒し小野の篠原 藻壁門院 呂律川(音なしの瀧川なり。南北に別れて南を呂川といひ北を律川となづく。漢土の 魚山に瀧川二流あり。呂律川といふ。其例によるなりとぞ) 鉈捨薮(呂川の北にあり。大原問答のとき、熊谷蓮生師鉈を柚に隠して法然上人 に供す。蓮生のいはく師もし對論に負給はゞ法敵を討殺さんとの用意 なりと。師これを聞て大に制し給へば 世和井水(律川の橋をわたりて右のかた 鉈を此ところにすて置きしとなり) 石垣のもとにある池をいふ) 井多の清水おやまのしみづかへでかしはかつら谷(何れも所さだかならず。むかし より和歌に詠ず。後考あるべし) 熊谷腰掛石(律川の橋南のつめにあり。蓮生法師此所に 腰をかけて法問の勝劣を聴問しけるなり) 梶井宮圓融院梨本房は呂の川の北にあり。天台の座主にして諸門を 推でこれを祖とす。(當院むかしは東坂本にあり。梶井の芝とて今に旧跡のこる。 夫ゟ舟岡山の麓にうつし近代此地へうつすとなり) 極楽院(當院にあり。惠心僧都の妹 賣炭翁の墓(うしろの山にあり。古此所にて 安養尼の庵室の旧跡あり) 炭を焼き初めし翁の墳なりとぞ) 草庵 極楽院に陵阿上人うへ置きたる桜を見て 見るたびに袖こそぬるれ桜花涙のたねを植ゑや置きけん 頓阿 護法石(當院の門前垣の傍にあり。むかし皇慶阿閣梨といふ智徳の僧ありて、つねに天童來りて 随従す。これを護法童子といふ。皇慶の滅後に化して石となりしといひ伝ふ) 魚山勝林寺は梶井御殿の北にあり。本尊を證拠阿弥陀と號す。坐像に して長七尺佛工の祖康成の作也。當院は一條左大臣雅信公の息少将入道 寂源法師の艸創なり。むかし叡山の僧都卒覺超同静慮院偏救と ていみじき智者のおはしき。此如来の前に於て佛果の空不空の議論 ありけり。覚超は不空との給ひしに如来相好を隠し偏救は空の義を立 給ふにかへつて相好をあらはし給へり。然れば中道実相こそ如来の本意なれ といふことこゝに於て顕れぬ。夫より世の人證拠弥陀と称しける。又文治二年の 秋法然上人と山門座主顕眞法印を始め諸宗の学徒と一向専修の問答 侍りしに法然上人の談論あるときは本尊光明を放給ふ。これを大原問答 といふ。諸宗の知識みな上人の弘法に伏し顕眞もたちまち専修の行者 となり則法泉坊に住給ひ穪名念佛絶ずとなん。 實光坊(勝林院の前にあり。後鳥羽院 法華常行堂(実光坊の北にあり。本尊には の御塔は坊中にあり ) 聖観音を安置す。惠心の作也) 袈裟かけ石(勝林院村の西にあり。皇慶法師大原に住給ひしとき天童降りて 袈裟の穢しを天竺の無熱池に飛行て濯かへり此石にかけしとなり)
大原 新古今和歌集巻第十七 雑歌中 少將井の尼大原より出でたりと聞きて遣はしける
和泉式部 世をそむく方はいづくもありぬべし大原山はすみよかりきや
よみ:よをそむくかたはいずくもありぬべしおおはらやまはすみよかりきや 隠
意味:
備考:住みと炭の掛詞。
返し 少将井尼 思ふことおほ原山の炭竈はいとどなげきの数をこそ積め
よみ:
作者:
意味:
備考:
新古今和歌集巻第六 冬歌
百首歌奉りし時式子内親王 日数ふる雪げにまさる炭竈のけぶりもさびしおほはらの里
よみ:
意味:
備考:正治二年院初度百首。
来迎院
音無の滝
三千院