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恋歌五 黒髪 定家
後拾遺和歌集恋歌三 和泉式部黒髪のみだれもしらずうち臥ふせば まづかきやりし人ぞ恋しき新古今和歌集巻第十五 恋歌五 題知らず 藤原定家朝臣かきやりし その黒髪のすぢごとに うち 臥すほどは 面影ぞ たつよみ:かきやりしそのくろかみのすじごとにうちふすほどはおもかげぞたつ...
View Article都名所図会 青龍三 高台寺 蔵書
こうだいじ髙䑓寺鷲峰山髙䑓寺は慶長年中に太閤秀吉公北の政所御建立の 菩提所也。古は雲居寺にして自然居士住給ひける。宗旨は禅(済家)。 中興開基は三江和尚なり。 佛殿の本尊は釋迦佛迦葉阿難を安置す。達磨大師の御厨 子は政所公の御車を用ひらる。方丈の唐門は秀吉公の船楼を もつて営しといふ。客殿南向にして襖の画は土佐光信狩野永 徳弘意了渓等なり。彫物彩色美麗を尽せり。本尊は千手観音...
View Article唐詩選画本 涼州詩 王翰 蔵書
りやう涼しうの州ことは詞おう王りん翰ふとうのびしゆやくはうのはいほつしてのまんとびわばせうにもよほす 葡萄美酒夜光杯欲飲琵琶馬上催ゑつてふすともしやしようにきみなかれわらふ事こらいせいせんいくはくひとかかへる醉臥沙塲君莫笑古来征戦幾人回...
View Article都名所図会 青龍三 大原 蔵書
おゝはら大原しやうりんゐん 勝林院らいがうゐん 來迎院ゆつうじ 融通寺をと たき 音なしの瀧りよりつがは 呂律川 新古今 世をそむく かたはいづこも 有ぬべし 大原山は 住よかり きや 和泉式部 同返事 思ふ事大原 山の すみ がまは いとゞなげきの 数をこそ つめ 少将井尼...
View Article中原親能 記事
中原親能~公家出身でありながら、なぜ頼朝の御家人になったのか?~(歴史人) - Yahoo!ニュース経歴を活かし初期鎌倉幕府の朝廷交渉窓口となった中原親能(なかはら ちかよし)。もとは公家であった親能は、どのような経緯で頼朝の側近になったのか? その足跡を辿る。...Yahoo!ニュース 経歴を活かし初期鎌倉幕府の朝廷交渉窓口となった中原親能(なかはら...
View Article読めない漢字クイズ3
普段使っているのに、漢字にすると読めないと言うのものたくさん有ります。古典を読んでて、読めなかった漢字を調べたら、な~んだ?と言う物です。古典の勉強が進まないので、忙中閑あり記事です。クリックすると辞書に繋がり答が分かります。問1 具に一所懸命調べても分からない事、多いですね。問2 悉くネットで調べたり、図書館へ行って本を見たり、広く勉強していますが、失敗ばかり。浅学故御容赦を。問3...
View Article比企遺跡 東松山市 城ケ谷
比企尼山城ケ谷 (一社)東松山市観光協会より大岡地区には多くの古墳があり、三千塚古墳群と云われていま す。雷電山古墳は一番大きく、帆立貝型前方後円墳で埼玉県最古の輪が出土しています。古墳の上に大雷神社が祀られています。雷電山の真南にある奥深い谷が、いわゆる「城ヶ谷」と呼ばれ、この谷の奥にある沼が城ヶ谷沼です。...
View Article都名所図会 青龍三 寂光院、朧清水 蔵書
おゝはらじやくくはうゐん大原寂光院寂光院は草生村にあり。原弘法大師の開基にして文治の頃建礼門院 閑居し給ひしより今に至り尼寺となる。本尊地藏菩薩は聖徳太子 の御作なり。則門院の御影阿波内侍の像あり。庭にはみぎはの池みぎはの桜有。 平家物語 後白河法皇大原御幸の時 池水にみぎはの桜ちりしきて浪の花こそさかり成けれ 後白川院 此辺の垣を緑羅垣といふ。門院の御墳は後の山に有。これを翠黛山と...
View Article定家筆源氏物語奥入発見記事(読売新聞)2022/04/20 09:45
国宝の藤原定家「源氏物語」注釈書、欠損1枚が掛け軸に貼られた状態で発見 : エンタメ・文化 : ニュース鎌倉初期を代表する歌人、藤原定家(1162~1241年)が手がけた源氏物語の注釈書「定家筆源氏物語 奥入 ( おくいり ) 」の一部が見つかった。注釈書は国宝に指定さ...読売新聞オンライン 胡蝶 かめのうへの山 蓬莱の事 樂府 ウケナムトスレドモ ザレバ 眼穿不見蓬莱嶋...
View Article都名所図会 左青龍 三 蔵書
都名所圖會 左青龍 三 再刻都名所図会都名所図会は墨摺六冊本で名所図会本の先魁となったものである。本書は本文を京都の俳諧師秋里籬島が著し、図版を大坂の絵師竹原春朝斎が描き、京都の書林吉野屋から安永九(1780)年に刊行された。本『都名所図会』は、下記参考の字句、配置等の対照表から河内屋板再刻本と思われる。参考新修京都叢書第六巻 別冊都名所圖會諸本對照表 野間光辰...
View Article二階堂行政記事
二階堂行政~鎌倉幕府の影の支配者である「二階堂氏」の始祖はどんな人物だったのか?~(歴史人) - Yahoo!ニュース時流に乗るとは、この男のことを言うのかもしれない。源頼朝との主従関係を足掛かりに、北条義時など時の支配者と良好な関係を構築。その子孫は地方の守護職も含め、大きな...Yahoo!ニュース...
View Article比企探検 東松山市 宗悟寺
比企尼山宗悟寺 (一社)東松山市観光協会より天正18年(1590年)徳川家康の関東転封に伴い大谷村や山田村を知行した旗本森川金右衛門氏俊の菩提寺です。森川氏は、徳川家康の旗本として姉川の合戦や小牧・長久手の戦いなどに参加し活躍しました。森川氏は大谷村や山田村を知行するとしばらく大谷に居住し、...
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