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中原親能 玉葉 寿永二年九月四日

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玉葉(九条兼実日記) 訓読玉葉(高橋貞一 著)第5巻 巻第三十六より
寿永二年(1183年)九月四日丙寅。陰晴定まらず。前源中納言雅頼卿来たる。余疾ひに依り簾を隔ててこれに謁す。世上の事等、多く以て談説す。その中余のため無用の事等あり。去る比、義仲の許に落書あり。即ち義仲の所行の不当非法等、悉く以て注載す。その次余登用せられざる、尤も不便、朝の重器たる由、具さに以てこれを載すと云々。この事余の辺の事不快に存ずる輩の所為か云々。誠にこの事甚だ由無き事なり。又語りて云はく。頼朝必定上洛すべし。次官親能(広季の男)は、頼朝と甚深の知音、当時同宿す。件の者又源(雅頼)中納言の家人、即ち左小弁兼忠の乳母の夫なり。件の男一昨日飛脚を以て示し送りて云はく。十日余りの比、必ず上洛すべし。先づ頼朝の使となり、院に申す事あり。親能上洛すべきなり。万事その次に申し承るべしと云々。かくの如き等の事、多く以て談語し、刻を推(うつ)して後帰り了んぬ。ーー略ーー。夜に入り観性法橋来たる。出でながらこれに謁す。件の人内大臣(実定)母堂の忌に籠る故なり。語りて云はく。頼朝今月三日出国、来月一日入京すべし。これ必定の説なりと云々。但し猶信受せられざる事なり。

中原親能平安時代末期から鎌倉時代初期の下級貴族、鎌倉幕府の文官御家人。源頼朝の側近。正五位下、明法博士、斎院次官、美濃権守、式部大夫、式部大輔、掃部頭、穀倉院別当。鎌倉幕府 公文

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