光有りて見し夕顔の上露は黄昏時の空目なりけり
なくおもかげに戀しければ、あやしの心やとわれな
がらおぼさる。かよひ給し所々よりは、うらめしげにおど
源心
ろかしきこえ給ひなどすれば、いとおしとおぼす
もあれど、√にゐたまくらの心ぐるしくて、夜をや
へだてんとおぼしわづらはるれば、いと物うくて、な
やましけにのみもてなし給て、世中のいとうく
おぼゆるほどすぐしてなん。人にもみえ奉るべき
弘徽殿○后也 朧月夜ノ内
とのみいらへ給ひつゝすぐし給。いまきさきは、みくし
侍也 右大臣詞
けどのゝ、なをこの大゛将にのみ心つけ給へるを、けには
たかくやんごとなかりつるかたもうせ給ひぬるを、さ
てもあらんに、などかくちおしからんなど、おとゞの
悪后か心
給に、いとにくしと思ひ聞こえ給て、宮づかへも
おさ/\しくだにしなし給へらば、などかあしから
御門へ也 源心
んとまいらせ奉らんことをおぼしはけむ。君
もをしなべてのさまにはおぼえざりしを、くち
おしとおぼせど、たゞいまはことさまにわくる御
心もなくて、なにかはかばかりみじかゝめる世に、か
くて思ひさだまりなん。人のうらみもおふまじ
かりけりと、いとゞあやうくおもほしこりにたり。
かのみやすどころはいと/\おしけれど、まことのよる
べとたのみきこえんには、かならず心をかれぬべし。
としごろのやうにてみすぐし給はゞ、さるべきおり
ふしに、ものきこえあはする人にてはあらんなど、さす
紫
がにことのほかにはおぼしはなたず。このひめ君を、い
まゝで世人もその人ともしりきこえぬ、ものげな
兵部卿
きやうなり。ちゝ宮にしらせきこえてんとおほし
なりて、御もぎのこと、人にあまねくはの給はせね
ど、なべてならぬさまにおほしまうくる御よういなど
紫
いとありがたけれど、女君はこよなううとみきこ
え給てとしごろよろづにたのみきこえて、まつはし
きこえけるこそあさまし心なりけれと、くやしう
のみおぼして、さやかにも見あはせ奉り給はず、き
こえたはふれ給も、くるしう、わりなきものにおぼし
無く面影に恋しければ、あやしの心やと、我ながらおぼさる。通ひ給し所々よ
りは、恨めしげに驚かし聞こえ給ひなどすれば、愛おしとおぼすもあれど、
√新手枕(にゐたまくら)の心苦しくて、夜をや隔てんとおぼし煩はるれば、
いと物憂くて、悩ましげにのみもてなし給ひて、「世の中のいと憂く覚ゆるほ
ど過ぐしてなん。人にも見え奉るべき」とのみいらへ給ひつつ過ぐし給ふ。
今后は、御匣殿(みくしげどの)の、猶この大将にのみ、心付け給へるを、
「実にはた、かく止ん事無なかりつる方も、失せ給ひぬるを、さても有らんに、
などかくち惜しからん」など、大臣宣ふに、いと憎しと思ひ聞こえ給ひて、
「宮仕へも、おさおさしくだにしなし給へらば、などか悪しからん」と參らせ
奉らん事をおぼしはげむ。君も、押し並べての樣には覚えざりしを、口惜しと
おぼせど、ただ今は、異樣に分くる御心も無くて、何かは、かばかり短かかめ
る世に、かくて思ひ定まりなん。人の恨みも負ふまじかりけりと、いとど危う
く思(おも)ほし懲りにたり。
彼の御息所は、いと愛おしけれど、真の寄るべと頼み聞こえんには、必ず心
置かれぬべし。年頃のやうにて見過ぐし給はば、然るべき折節に、物聞こえ合
はする人にては有らんなど、流石に殊の外にはおぼし放たず。
この姫君を、今まで世人もその人とも知り聞こえぬ、ものげ無きやうなり。父
宮に、知らせ聞こえてんと思(おほ)しなりて、御裳着の事、人に周くは宣は
せねど、なべてならぬ樣におぼし設くる御用意など、いと有り難けれど、女君
は、こよなう疎み聞こえ給ひて、年頃万づに頼み聞こえて、まつはし聞こえけ
るこそ、浅まし心なりけれど、悔しうのみおぼして、清かにも見合はせ奉り給
はず、聞こえ戯れ給ふも、苦しう、わり無き物におぼし
引歌
√にゐたまくら…夜をや隔てん
万葉集巻第十一 正述心緒 読人不知
若草の新手枕をまきそめて夜をや隔てむ憎くあらなくに
若草乃 新手枕乎 巻始而 夜哉将間 二八十一不在國
古今和歌六帖 五 一夜へだつ よみ人知らず
若草のにひたまくらをまきそめて夜をや隔てむ憎くからなくに
夫木抄「憎くあらなくに」