13 昭和初期の歳時記における「夕焼」
昭和初期の歳時記をみてみると、まず大正14年発行高木蒼悟の「大正新修歳時記」には、「夕焼」は無かったが、翌年の昭和元年12月発行の「詳解例句 纂修歳時記」(資文堂)の夏(天文)には、「朝焼 夕焼」として「日出前、東天の殊に紅く身ゆるをいふ。土用の頃旱天打續くとき、又は初秋などに多し。夕焼は日没前、日光の反射によりて西天に著しく紅く見ゆるをいふ。夏秋に多し。」
とあります。
また、昭和6年刊行の「昭和大成新修歳時記」(宮田戊子 弘文社)に 夏(天)に「朝焼 夕焼 朝、日の出でんとする時、天紅く見ゆるを朝焼といひ、夕方、日没せんとする時見ゆるを夕焼と称す。朝焼は多く雨となり夕焼は晴天なりと云ひ伝ふ。」と両歳時記とも朝焼のついでのように記載している。しかしなぜ季が夏なのかの記載は無く、後の歳時記のように「四季にあるが夏が・・・」といった言い訳じみたものはありません。
しかも蒼悟の歳時記では、「夏秋に多し」と秋にも多いことを記述しております。
しかし、昭和9年刊行の「現代俳句季語解」(水原秋桜子編著 香蘭社)によると「夕焼」の記載はなく、「朝焼」はあり、その中で、「夕焼も朝焼に劣らぬ美しさを現はすが、前者は日の出でんとする力にみちたものであり、後者は日の沈む残照であるから、そのかげに限りなき哀傷を含むといはなければならない。」と秋桜子は、「朝焼」は好んでいるが「夕焼」は好まず、昭和10年代にはまだ確立していないことが、わかりました。
高濱虚子による昭和9年発行の「新歳時記」(三省堂)及び昭和15年の「改訂新歳時記」(三省堂)によると、7月の欄に「夕空にの真赤に火の如く焼け擴がることがある。これは他季にも見られないことはない。殊に「秋の夕焼鎌をとげ」などといふ諺もあるが、其真赤に夕焼ける壮快な景色は夏のものとするにふさわしい。」と季語として確定させたと考えられます。
14 季語「夕焼」について
万葉時代から戦前まで「夕焼」を追いかけてきましたが、時代ごとに「夕焼」と季節に対する感覚は様々に変化してきました。万葉集では、春の夕焼の歌が多く、古今和歌集以降は秋のものとなり、それは明治期まで続き、大正期の童謡までは秋のものとなっていたが、俳句の世界だけが夏としてとして表現されてきました。
はたしてその感覚でよいのだろうか。「夕べは秋となに思ひけむ」と春の夕暮を絶賛した後鳥羽院。暑い船上で見る壮大な夕焼を絶賛し、夏の夕焼の句を作った誓子。もののあわれを知らぬ者でも秋の夕暮を見るとわかるといった西行。冬の旅の夕暮は日が短いため、早く宿を探さないと死んでしまうと必死となる姿を歌った鴨長明。それぞれの「夕焼」を歌ってきました。
一部の俳諧師の感性だけで夏に統一されたことを、もう一度考え直し、古来から歌われている秋に戻すか、いっそのこと無季にすべきかと思います。
俳句は十七文字しかないため、省略の文学であり、同一認識が必要な座の文学です。その中で発明された季語。これは、俳句界全体が認識してはじめて生きるものと考えます。もっと自由であるべきなのに、十七文字の世界最短の詩の可能性を枠の中に押し込めて来たのだと思います。
平成17年11月2日 自閑