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ふうたいふやふるはんせんをがいか にしゆ しん/\
封大夫破播仙凱歌二首 岑参
かんしやううけておんをにしやふるぢうをせいしよまつそうすびようきうてんしあはめひらいてりん
漢將承恩西破戎捷書先奏未央宮天子預開麟
かくをまつたゝいまたれかかぞへんじしのこうを
閣待祗今誰數貳師功 播仙は西域のゑひすなり
凱歌はてがらをしてかへる事なり
そうたいしようにおゝせつけられ御目かねとせりなんのくもなく打ほろほしてきた・せうしよはゑ
ひすをほろほしたといふはやおいのせう状なり。しゆびよくうつてまいつたといふ状をみなのかくらぬ
さきにてんしへそうもんする事じや。せう状なとのきたときはみるともびようきうで御らんなさる事じや。
なんでもみやこへのほつたならはみかとのほうびを下さるであろふ。みかともかへらぬさきからりんかくをひらき
まつてござる。こんどのてがらはなか/\弐師廣利の功はばくたいなれどかぞふるにたらぬ優た手柄じや。
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封大夫播仙を破る凱歌 二首 其一
岑参
漢将、恩を承けて西のかた戎(じゅう)を破る。
捷書(しょうしょ)、先づ奏す、未央宮。
天子、預め麟閣を開いて待つ。
祗今(ただいま)、誰か数へむ弐師の功。
意訳
漢の将軍は、有り難い勅命を頂き、西の異民族を破った。
戦勝報告書は、真っ先に陛下の居られる未央宮で奏される。
天子は、宮中の麒麟閣の功臣の肖像に閣下を加える準備をなさって待って居られるであろう。
今となっては、李広利将軍の軍功など、封大夫の功績の前では、ものの数ではなくなった。
※封大夫
封 常清(生年不詳 - 天宝14載(756年))は、唐の武将。西域で高仙芝に従い、功績をあげたが、安史の乱に際し敗戦の罪で処刑された。岑参は北庭で封常清の幕下にいた。大夫は、節度使の異名。天宝11載(752年)、安西副都護・御史中丞・安西四鎮節度使に任命され、天宝12載(753年)、大勃律国を降伏させる。この凱旋の時の祝宴の時の作。
※二首 六首連作の第一首
※播仙 異民族の部族名、又は地名と考えられるが、未詳
※捷書 戦勝報告書
※
未央宮 漢の劉邦が長安に建てた宮殿。時代を漢代に準えている。
※麟閣
麒麟閣。中国漢代、長安の宮中にあった高殿。武帝が麒麟を献上されたとき築いたといわれる。宣帝のとき、11人の功臣の肖像などが飾られた。麒閣。麟閣。
※貳師 前漢の武帝時代の将軍
李広利。弐師将軍に封じられ、大宛を降伏させた。
唐詩選畫本 七言絶句 巻四