其 二
日落轅門鼓角鳴千羣面縛出蕃城
洗兵魚海雲迎陣秣馬龍堆月照營
ひおちてゑんもん、こかくなる。せんぐんめんはくして、はんじやうをいづ。へいをあら つてぎよかい、くもぢんをむかへ、むまにまくさかふて、りやうたい、つきゑい をてらす。 ゑんもんはちんやのもんなり。ひくれじふんには、かいぢんを、たいこをうつてかへる。ゑひすのかた のこうさんのものとも。てまへでなわをくゝり、ばんじやうよりひきいだされている 。こんにちめでたふ、ぎよかいあたりへきたじふん、雲雨がこのほうのぢんを、むかへるやふ にして、くだつてきたが、あれは、へいをあろふ。ずいうと見へた、ゑひすのいくさが おさまつたれは、なんのきづかいもなく、りやうたいあたりでむまにまくさかへば、 月がゑひをてらすと也。くわしくはこくじかいと見るへかし封大夫の播仙を破る凱歌二首 其二 岑参 日は落ちて轅門、鼓角鳴り、 千群面縛して蕃城を出づ。 兵、魚海に洗えば、雲、陣を迎え、 馬を龍堆に秣(まぐさか)えば、月、営を照らす。 意訳 日が落ちると、軍門から太鼓や角笛が起こって、 播仙の敵兵は何千と群れをなして、我が身を後ろ手に縛って降伏して蕃城を出て来る。 我が軍の兵を、魚海で汚れを洗えば、雲が沸き立ち、我が陣を迎え、 馬を龍堆砂漠で、馬草を与えていると、月が我が陣営を照らしてくれる。 ※封大夫 封 常清(生年不詳 - 天宝14載(756年))は、唐の武将。西域で高仙芝に従い、功績をあげたが、安史の乱に際し敗戦の罪で処刑された。岑参は北庭で封常清の幕下にいた。大夫は、節度使の異名。天宝11載(752年)、安西副都護・御史中丞・安西四鎮節度使に任命され、天宝12載(753年)、大勃律国を降伏させる。この凱旋の祝宴の時の作。 ※二首其二 六首連作の第四首 ※播仙 異民族の部族名、又は地名と考えられるが、未詳 ※轅門 轅は車の長柄。天子や将軍などが野外に陣を張る時に、周囲に車を並べ垣根を作り、入り口には二台の車を向き合わせて立てる。駐屯地の軍門を意味する。 ※鼓角 軍隊で使う太鼓と角笛。 ※面縛 後ろ手に縛る。降伏の印。 ※蕃城 蕃族の城 ※漁海 甘粛省の臨夏市の西方の町。一説に湖の名。 ※龍堆 白龍堆の略称で新疆の東部の砂漠。 唐詩選畫本 七言絶句 巻四