不破の関屋は、昔だに荒れにければ、形のやうなる板庇、竹の編戸ばかりぞ残りける。げに秋風もたまるまじう見えたり。
昔だにあれにし不破の関なれば今はさながら名のみなりけり
(関の藤川)
関の藤川は、その名もなつかしければ、わきて言問ひ侍りし。名ハこと/\しけれど、さしもなき小川にて、万代までの流れともわかれず。されど、耐えせぬ例はいと頼もしくて。
さてもなを沈まぬ名をやとゞめましかゝる淵瀬の関の藤川
巻第十七 雜歌中
和歌所の歌合に關路秋風といふことを
人住まぬ不破の關屋の板びさし荒れにし後はただ秋の風
よみ:ひとすまぬふわのせきやのいたびさしあれにしあとはただあきのかぜ 雅 隠
意味:人が住まなくなった不破の関の板の庇に、すっかり荒れてしまった後は、ただ秋風だけが寂しく吹いている。
備考:和歌所影供歌合。不破の関は岐阜県関ヶ原町松尾に有った関所。歌枕名寄、新三十六人歌合、定家十体の面白様の例歌、美濃の家苞、常縁原撰本新古今和歌集聞書、新古今抜書抄、新古今注、九代抄、九代集抄、聞書連歌、古今和歌集抄出聞書(陽明文庫)
小島のくちずさみ
南北朝時代の北朝の太政大臣で、連歌師の二条良基が、1353年(正平8・文和2)美濃国小島(岐阜県揖斐川町)の行宮まで旅をしたときの紀行文。
なお、二条良基は、増鏡の著作である可能性のきわめて強い。