梢にさくゆへ成べし。古今素性法し
春きては花とやみらん白雪のかゝれる枝に鴬のなく
題しらず よみ人しらず
心ざしふかく染てしおりければ消あへぬ雪の花とみゆらん
一 中納言家持 安丸ガ孫。旅人子云云。從
三位春宮大夫大納言旅人子。
一 まきもくのひばらもいまだくもらぬに小松が原に淡雪ぞ
ふる
古抄云。まきもくの檜原、大和の名所也。
この哥に春の詞なし。いまだくもらぬといふ
と。かすみの心によめる也。餘寒の躰也。
増抄云。くもらねば、くもらぬに、両やうなり。
ぬにの時は、ひばらは常も煙たちてくもり
やすきさへ霞にくもらぬに、小松がはらは春のあ
わ雪がふると也。冬はかきたれてふりしが、
春のしるしにあは雪がふると也。ねばの時
はひばらのくもらねば、小松原にもいまだ雪
ふるぞとなり。
※両やうなり まきもくのひばらもいまだくもらぬに小松が原に淡雪ぞふる 穂久邇文庫伝為氏本(岩波文庫)では、 まきもくの檜原のいまだくもらねば小松が原にあわ雪ぞ降る とあり、「檜原の」とするのは、烏丸本、尊経閣本。「ねば」とするのは諸本、「小松が原は」とするのは、東大図書館伝橋本公夏本である。
万葉集では、巻第十2314 春雑歌 人麻呂歌集
巻向之 檜原毛未 雲居者 子松之末由 沫雪流