一 岩そゝぐたるひの上のさわらびの萌出る春になりにけるかな
増抄云。岩そゝぐたるひとは、岩よりつたひて
そゝぎ落る水のこほれるをたるひと云也。
扨も時節といふものがあるならひかな。冬はしたゝ
る水がこほれりてすさまじき事なりしが、
春がきたりたれば、わらびはもえ出る事よと
なり。たるひのうへとあれば、氷の上のやう
なれども、さにはあらず。たるひのある岩の
上にもれ出るよし也。春になりにけるかなと
歎じたるとまりなり。さてもうれしき
事かなと云心もしたにあり。
一 百首の哥奉りし時。 前大僧正慈圓
法性寺入道関白ノ子。九十二首入。青蓮院ノ門跡
也。吉水和尚ともいひ、大乗院座主ともいふ
なり。後には慈鎮といふはおくり名なり。
一 天原冨士の煙の春の色の霞になびく明ぼのゝ空
古抄云。あまのはらとは、空をいふなり。天の原
冨士と古人もよめり。冨士のけぶりの髙店に
さしのぼりたるも、はや春に同心して、春の色
に成けりと、二の句にて切てみる哥なり。
増抄云。あまのはら冨士とは、この山天とひとしく
みゆる故、まくら詞にしたり。煙が則かすみ
に成たるとなり。かすみになびくといふ詞制
の詞のたぐひ成べし。或説云。冬けぶりが
雪のうへにたなびきしが、春に成たれば山と
かすみて雪はかくれ、かすみたるうへに、一村けぶり
がたなびきたる心といえへり。春のいろの霞と
いふ、いろといふ、いろと云字を味へば、まじる心も有べし。
冬のゆきのいろをかへたるこゝろあり。
頭注
職原云。
僧正 准三儀
大小権
※古抄云
新古今集聞書幽斎補筆
万葉集巻第十四 読人不知
安麻乃波良不自能之婆夜麻己能久礼能等伎由都利奈波 阿波受可母安良牟
天の原富士の柴山木の暗(くれ)の時ゆつりなば逢はずかもあらむ
建保名所百首 藤原定家
天の原富士の柴山しばらくも煙絶えせず雪もけなくに