武蔵守
知章は新
中納言とももり
きやうのおん子
なり。御父と共
に一のたにへのぼり
それより濱べ落行
けるとき源氏がた追かけ
既に武蔵守知晃
ちかづき
ければ一刀
を引ぬき
たゝかひ
けれども
げんじは大ぐん
なり。今はこれまで
と大ぜいの中へかけ入
打死し給ふこといさましける
平 知章(たいら の ともあきら)は、平安時代後期の平家一門の武将。平知盛の長男。怪力で知られた。
略歴
寿永2年(1183年)の平家都落ちに伴って西海へ。寿永3年(1184年)2月の一ノ谷の戦いでは、父・知盛に従い、源氏方の源義経軍と戦闘。『平家物語』の「知章最期」によると、全軍総崩れの中、知盛と知章、郎党の監物太郎頼方の主従三騎で敗走。海岸に出たところを、源氏方の児玉党に追い付かれ、交戦。児玉党の大将が知盛に組付くところに割って入り、児玉党の大将を討ち取ったが、周囲の武士に囲まれて壮絶な最期を遂げた。享年16。そのおかげで生き延びた知章の父である知盛は、「どんな親が息子を助けないで逃げるだろうか」と自分を責め、さめざめと泣いたという。