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組打図絵 平盛俊と猪俣範綱 蔵書

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越中の前司                  △ける●●

もりとしは    猪亦金平六         く●●

平家のゆうし                   かそ

猪また近

平六をくみ引                   めう

すでに首をかゝん                 なり

とす。下よりかうさん

/\とよばゝりければ

もりとしそのまゝ助け

おこしければ只今より

御けらいになし下され

とまをしやうに申けるに

よつて大によろこび

もりとしふかたのほそ

道に掛る     越中前司盛俶

とき近平六

は金剛力をいだしもりとし

をつき落し重掛て首を取△

 

平盛俊(たいら の もりとし)平安時代末期の武将。伊勢国一志郡須賀郷を基盤とする伊勢平氏に連なる有力家人。「彼の家、第一の勇士」(『玉葉』寿永2年6月5日条)といわれた。

寿永3年2月7日の一ノ谷の戦いで平氏軍は全ての防衛線を突破された。盛俊はもう逃げてもかなわぬと馬を止めて敵を待っていると、源氏方で鹿の角の「一、二の枝」を簡単に引き裂くほどの剛の者猪俣範綱が駆けてくる。腕力に自信があった両者は組討をして地面に落ち、範綱が組み敷かれてしまう。首を斬られかかった範綱は、盛俊の名を尋ね聞いてさらに「命を助けてくれるなら、貴方の一族を自分の恩賞と引き換えに助けよう」と命乞いを始める。それに盛俊は怒り「盛俊は不肖なりとも平家の一門、源氏を頼ろうとは思わない」と範綱の首に刃を立てようとしたところ、範綱に「降伏した者の首を掻くのか」と言われて、押さえ込んでいた範綱を放してやる。二人があぜ道に腰を下ろしていると、人見の四郎という源氏方の武者が駆け寄って来て、それに気をとられた盛俊は範綱に不意に胸を突かれて深い田んぼの中に倒されてしまう。泥濘で身体の自由が利かない盛俊は、このような騙し討ちによって範綱に首を取られてしまった。

 

猪俣 範綱(いのまた のりつな。別名 小平六)平安時代末期から鎌倉時代にかけての武将、御家人。武蔵七党の猪俣党の当主。

保元の乱で源義朝に仕えた。平治の乱では源義平の下で軍功をあげた十七騎の雄将として知られている。また源頼朝・源義経にも仕え、一ノ谷の戦いで平盛俊を騙し討ちにしたとされている。

範綱の死後、始まりの時代は不詳だが、一族の霊を慰めるため猪俣百八燈という行事が毎年行われている。

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