尾張廼家苞 四之下
千五百番歌合に 家隆朝臣
おもひいでよたがかねごとの末ならんきのうの雲の跡の山風
きのうの雲とは、風の吹はらひて消うせてけふはなき雲をいひ
て、はやくの契の絶たる譬也。かねごとゝ雲とかけあひて、楚王の故事
になりて朝々暮々陽䑓之下といへる事
にて、こゝは妹妋のかねごとにいへり。跡の山風とは、雲は跡なく晴て、山風ばかり残
りたるを云。一首の意は、思ひ出して御らんぜよ。雲といふ字はたがかね言の末にありし
ことぞ。その雲もきのふまでは少しはみえたれど、今では山風の
吹はらひたる跡になりしと也。かく雲といふが、すなはち來あふ事也。跡の山風とは、
雲をばきのふ吹はらひて、其跡に今も残りてふく風をい
ひて、かねごとせし人のつれなくしらずがほにてあるたとへ也。
さてかくいへ我は、雲をきのふ殘りなく吹はらひたるは、
たがしわざにもあらず。此山風のしわざなるぞといふ意をいはん
料なり。一首の意は、昨日の雲の跡にふく山風につけても、はやく
のかねごとをおぼし出て我かく物おもひするをあはれとおぼ
せ、今かく絶はてたる契はたがかねごとの末にて侍るぞ。君がかね
ごとの末にては侍らずやといひてとがめたる也。かねごとの末とは、
かねて契置つる事の行末をいひて、此哥にては其人の
かね言の末とほらずして、今契のはてたる所をさしていへり。
迂遠にて詞
にえがたくや。
題しらず 院冨門院大輔
忘れなばいけらん物かとおもひしにそれもかなはぬ浮世なりけり
一首の意は、もし人がわすれたならば、生てはおるまい。おもひ死にすぬるであらうと思ひ
しに、今かやうに忘られても、えしにもせずそれさjへ叶はぬうき世の中よと嘆たるなり。
西行
うとくなる人を何とてうらむらんしられずしらぬ折もありしを
一首の意、今更ニ疎くなるとて、人を何ゆゑに恨むる事ならん。
あたたもこなたもしらぬどうしの事さへも有た物をと也。
今ぞしるおもひ出よとちぎりしは忘れむとてのなさけ也けり
おもひ出るはわすれたるうへの事也。もし忘るゝことなければ、
常におもふなれば、思ひ出るといふ事はなき故にかくはよめり。
以上したゝかにて、老荘など説らんが如き至理也。一首の意、初相おもひし時
おもひ出よと契しは、かくわすれんとての情にてありし事と、今ぞ思
ひしる
と也。 この歌の趣にては、二ノ句おもひ出んといはでは聞えず。出よ
にてはたがへり。思ひ出んにては、人のみづからのうへの事、おもひ出よにては
我うへの事にて、ともに聞えたり。
建仁元年三月歌合に逢不遇戀
土御門内大臣
逢見しはむかし語のうつゝにてそのかね言を夢になせとや
逢見し事は、むかし語になりて、今は名殘もなけれと、それは
猶うつゝにてありし物を、其時のかね言をば夢になせとにやと
なり。二三ノ句、たゞうつゝといひては今も逢みる事ノあるごとく
聞ゆるを、昔語のうつゝといへるおもしろし。此説の
ごとし
※楚王の故事になりて朝々暮々陽䑓之下
文選 高唐賦幷序 宋玉
旦爲朝雲、暮爲行雨。 旦には朝雲と為り、暮には行雨と為りて、
朝朝暮暮、陽臺之下。 朝朝暮暮、陽台の下にありと。
※浮世なりけり→此世なりけり(穂久邇文庫本、寿本)
※折もありしを→折もありしを(ィに)(穂久邇文庫本)、山家集ありしを
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