○み山路やいつより秋の色ならん見ざりし雲のゆふ暮の
空
夕ぐれの見ざりしをしきはいつより秋の色
にはなりたるぞと●に心残りせしたる哥なり。
西行
○心なき身にもあはれとしられけり鴫立沢の秋の夕ぐれ
心なき身とは世をのがれて六賊をすてゝ無性
無心になりぬれば悲しきともおもしろし共
うれしきとも思はず。されども秋の夕を過行
に道邊の沢田に鴫の鳴立たる夕暮のあは
れさは心なき身にもこつずいにとをりてたへ
がたく悲しき事詞にはいはれずといふ事を
いひさして鴫たつ沢の秋の夕ぐれはやるかた
なきものかなと終たる哥也。猶ふかき心いひはてぬ
哥也。是はさかひに至るほど吟味ふかゝるべし位
ほどおもしろくもあはれにもなる哥なり。又
筑紫より僧正祐賢住吉社に百日参籠有て
直に明神の御姿を拝み奉りたきと祈念有
しに満する暁うつゝとも夢とも覚えず此哥
を社頭の内より三返たか/"\と詠吟のこゑあり上人
は則住吉明神なりと書たる子細あり。頓阿自記也。
※心なき身にもあはれと→心なき身にもあはれは
※頓阿自記 井蛙抄