源氏物語 胡蝶
今日は、中宮の御読讀經の初めなりけり。やがてまかで給はで、休み所とりつゝ、日の御よそひに替へ給ふ人々も多かり。障りあるは、まかでなどもし給ふ。午の時ばかりに、皆あなたに參り給ふ。大臣の君をはじめ奉りて、皆着きわたり給ふ。殿上人なども、残るなく參る。多くは、大臣の御勢ひにもてなされ給ひて、やむごとなく、いつくしき御有樣なり。春の上の御心ざしに、仏に花奉らせ給ふ。鳥蝶に装束き分けたる童ベ八人、容貌などことに整へさせ給ひて、鳥には、銀の花瓶に桜をさし、蝶は、金の瓶に山吹を、同じき花の房いかめしう、世になき匂ひを尽くさせ給へり。土佐光成 (正保三年(1647年) - 宝永七年(1710年)) 江戸時代初期から中期にかけて活躍した土佐派の絵師。官位は従五位下・形部権大輔。 土佐派を再興した土佐光起の長男として京都に生まれる。幼名は藤満丸。父から絵の手ほどきを受ける。延宝九年(1681年)に跡を継いで絵所預となり、正六位下・左近将監に叙任される。禁裏への御月扇の調進が三代に渡って途絶していたが、元禄五年(1692年)東山天皇の代に復活し毎月宮中へ扇を献ずるなど、内裏と仙洞御所の絵事御用を務めた。元禄九年(1696年)五月に従五位下、翌月に形部権大輔に叙任された後、息子・土佐光祐(光高)に絵所預を譲り、出家して常山と号したという。弟に、同じく土佐派の土佐光親がいる。 画風は父・光起に似ており、光起の作り上げた土佐派様式を形式的に整理を進めている。『古画備考』では「光起と甲乙なき程」と評された。 27cm×43.5cm 令和5年11月5日 九點貳伍/肆